部員ブログ #1 佐藤秀音 「コント」 | 同志社大学体育会フットサル部TREBOL

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新年入ってすぐ20歳ということもあり、同窓会ラッシュがあったのですが、そこで久しぶりに出会った高校のおもんない同期に「お前の人生コントやん」と死ぬほどバカにされました。


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こんにちは。

今月から部員ブログを担当することになりました。スポーツ健康科学部新3回生の佐藤秀音と申します。よろしくお願い致します。



最初に簡単な私の経歴について書いていこうと思います。

3秒で怒る親バカな父と、親というよりよっ友みたいな間柄な母との間に生まれた私は、名前に込められた「音楽の才能に秀でてほしい」という親の思いとは裏腹に、別の意味で「シュート」という名前に導かれたのか、3歳でサッカーを始めました。

その後、ずっとサッカーを続けていつかはプロになることを夢に見た私は、小学校で円堂守に憧れたのかゴールキーパーを始め、マジンザハンドは習得できなかったものの、当時はそこそこ身長の高かったのもあり、中学でサカン鳥栖の下部組織に入りましたが、周りとのあまりの実力差に1年で挫折して退団。すぐ入り直したクラブユースのチームと高校の部活でサッカーを続けるも、全国大会に縁はないまま引退。

それでも、サッカーへの情熱は消えず、大学、その後も何かサッカーに携わるような人生にしたいと考えた私は、サッカーを進路に出来る大学を第一志望に掲げて受験に臨みました。

しかし、共通テストの悪魔の数学で大チョンボをかましたのもあり、直前の模試でA判定だった第一志望の大学には不合格。ただ、ずっとE判定だった同志社にはなぜか合格し、大学の最寄駅が田んぼまみれの京田辺でのエンジョイライフが始まりました。受験生の皆さんには模試の判定なんて気にしないことと、大学のオープンキャンパスにはちゃんと行くことをお勧めします。

その後、DFCの新歓で吉田(一番性格悪い)と出逢いますが、特に仲良くならず、第一志望に落ちたショックを引きずったままに入った大学のサッカー部を2週間で退部し、お酒に眼鏡を突っ込んではペロペロさせるのをおもろいと思っている男や、合宿のお金払わん女に嫌気がさして、入っていたサークルから徐々に距離を置いていったのち、何かの縁からか新歓でお世話になったDFCに入団し、フットサルという形でサッカー人生を続けている、という流れで今の私に至ります。

と、ありきたりな様で波瀾万丈な自己紹介を書き終えたところで本編に入ろうと思います。


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あなたにとっての一番な黒歴史を思い浮かべてください。



このブログを読んでくれているのはDFCの関係者の方が多いと思うので、黒歴史と言われて真っ先に思い浮かべることはサッカーの試合中でのミスだったり、サッカー関連の後悔だったりが多いかもしれません。

あるいは、学生時代の人間関係での失敗だったり、受験での失敗、バイトでのミス、学校で怒られた出来事だったりを思い浮かべるでしょうか。

あまり、黒歴史なんて他人と比べるものではないでしょうが、私も人一倍黒歴史を抱えています。

サッカーでの失敗なんて、悔やんでも悔やみきれないような失敗が数えきれないほどあるし、人間関係での失敗も、関東遠征の移動中に同期の三浦(裏番長)に対する絡み方をミスってその後しばらく気まずくなったり、ボケをミスったら越智(おちおち)にこいつおもんないと言われて怖い想いをしたり等、数えきれないほどあります。

そして、一番恥ずかしい黒歴史として思い浮かんだのは、高校の文化祭で1人でショートコントをして、リモートで学校中大スベリをしたことです。



いや、笑ってください。


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こんな感じで人間、まともに生きていれば黒歴史の一つや二つ、抱えて生きているものだと思います。

ただ、私が今回書きたいことは、そんな自分の黒歴史の自慢ではありません。生きていく中でやらかしてしまった黒歴史をどう自分の中でどう調理して生きていくのか、その重要さについてです。



毎日生活していれば、黒歴史に限らず、いろんな出来事に遭遇すると思います。

勉強、バイト、部活、自炊、遊び、趣味

そんな出来事に対して、自分にとってポジティブな意味づけをするのか、ネガティブな意味づけをするのか、何も考えずそのまま受け流すのか、その違いだけでも、数日、数ヶ月、数年後には大きな差が生まれていると思います。

例えば、練習や試合でミスをしてしまった時に、何でこんなプレーをしてしまったのかと自分を悲観するのではなく、そのプレーをあとから見返して、どんなことを考えながらプレーしていたのかだったり、次どうしたらもっと良いプレーができるかを考えるだけでも、動画を見返さずに自分のミスに意味づけを行えてない人やネガティブな意味づけをしてる人と比べて差がつくと思います。

これは日常のどの出来事に対しても同じだと思っていて、成功したこと、失敗したこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、そういった様々な出来事に対して前向きに自分の力になるように意味づけをすること、自分のものにするということは、絶対にその後プラスになって帰ってくると思います。




こんな感じで、どんな出来事に対しても自分にとってプラスになるような意味づけをしていくということはとても大切だと思うし、サッカーに限らず、いろんな部分での成長につながると思います。

またこの考え方をすることで、以前悔しかった、恥ずかしかった、辛かった、そんな黒歴史でも、お金で買うことのできない経験、価値観、考え方を私に与えてくれる、そんな素晴らしい財産にすることができると思えるようになりました。


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DFCの2回生以上はご存知だと思いますが、1ヶ月ほど前、私はそれまで1年半ほど所属していたトップチームからサテライトチームに降格しました。

正直神戸大学との練習試合のプレー内容が悪かったこともあって覚悟はしてましたが、直前の関東遠征では自分のすべてをぶつけるくらいの気持ちでプレーしていたこともあって、発表された当日はかなり精神的に応えたし、ぶっちゃけ本気で退部するかどうか考えるくらいには落ち込みました。

ただ、その発表があった後すぐに熱いメッセージをくれた久井さん(京大体育館の件はほんまにすみません)、小松さん(弟にしか見えへん)、厳しいながらも愛のある言葉をくれた武藤さん(引退してからの方が連絡とってる)、一緒にサテで頑張ろうと言ってくれたのに気づいたらサテの練習からいなくなってた栢割(イーフトむっちゃ弱い)、励ましてくれてるんかと思ってLINE開いたら時間割送ってきただけやった岡村(サブ垢10個くらいありそう)など、たくさんの人が暖かい言葉をかけてくれたこともあって、まだDFCでフットサルを続けようと思えることができました。

そして、府リーグ直前となる5月まで1ヶ月活動を続けてみて思ったのは、本当にこのタイミングで退部しなくてよかった、ということです。

発表から1週間くらいの練習では、そうはいってもやっぱり自分の思いと現実のギャップが開きすぎていて、なかなかモチベーションを保つことが難しかったです。

でも、1日、また1日と経つにつれて、サテライトのキャプテン、江藤(ディズニー2人で行けるタイプのマブダチ)のチームを強くするために頑張っている姿や、同じタイミングでサテライトに落ちた船田さん(運命共同体)のプレーに触発され、絶対にこのままでは終われない、このまま負けてしまったまま終わるのだけは嫌だ、という気持ちが心の底から沸々と湧いてきました。

そして今ではこの苦しい時期を乗り越えた先で自分が見ることができる景色、そこで得られる経験、価値観、考え方はこれからの人生ですごい大きな財産になると思うことができるようになったし、だからこそこの壁を乗り越えてもう一度トップでプレーしたいという気持ちが日々強くなっています。こんな想いを感じることができたのは、あの時退部という選択をせず、DFCで活動することを選び、サテライト降格という黒歴史に対してポジティブな意味付けをすることができたからだと思います。





どんな出来事に対しても、自分にとってプラスになるような意味づけをすることの大切さ

これが今回のブログで私が一番伝えたいことなので、ここまで読んでいただいた読者の皆さんには少しでも自分の今回のブログにプラスの意味づけをしていただければ幸いです。



そして、私の人生を最後振り返った時に、M-1で優勝できるくらいおもろい、そんなコントのような人生だったと思えるようになれば、高校の文化祭の黒歴史も幾分かプラスの意味付けをすることができると思うので、これからも残りの大学生活を充実させつつ、DFCでの活動を楽しみながら、頑張っていきたいと思います。


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そういえば、ブログを書いている途中に一つエピソードを思い出したので最後に書かせてもらえればと思います。

去年の6月ごろ、インカレ京都府予選の日
の話です。

その日最初の試合で自分がメンバー外になったのもあって、ひどく落ち込んでいたのに気づいたんだと思います。

先輩の池さん(幼少期が全盛期)から「しゅーとと話したいことあるから今度サシ飯行こう」って誘ってくれました。

ホンマにええ先輩やと思ったし、めちゃめちゃリスペクトしました。

その後ですか?



なにもなかった。



拙い文章でしたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
今後も同志社大学フットサル部への力強いご声援をよろしくお願いします。

 

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