部員ブログ #44 江藤祐太 「泥臭く」 | 同志社大学体育会フットサル部TREBOL

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皆さん初めまして。経済学部2回生江藤祐太です。ようやく僕にもブログが回ってきたので、1年と少しDFCの活動を続けてきて、活動を振り返りながら、僕なりに感じたことや思っていることを書かせていただきます。拙い文章ではありますが、最後までお読みいただければ幸いです。


幼稚園からサッカーをしてましたが、高校の最後の大会で同じ公立高校にあっさり負け、これでサッカー人生が終わるのは何か違うなと感じ、国公立大学のサッカー部に入り、この悔しさを晴らそうと意気込み猛勉強したものの、奮わず一次試験の段階で大きくつまずき、第一志望の大学は不合格。ただ、何かの縁があったのか、挑戦のつもりで出した同志社に引っ掛かり、同志社大学に入学することになりました。入学当初から、週に何回も練習するような熱心な部活やサークルに入ることを決めていたわけではありませんでしたが、大学生活を過ごしていく中で、何も打ち込むものがないまま、4年間過ごしていても人間的にも成長しないし、時間が勿体無いと感じたため、受験生の時から目をつけていた、DFCに割と早い段階の1回生の4月末に越智(小学校からのよっ友)と安達(大人っぽいと見せかけてただのガキンチョ)、上仮屋(たまにツンデレの時あってかわいい)、三浦(多分同期で1番喧嘩強い)、黒川(同期じゃなかったら普通に喋ってない)と、同じタイミングに入部しました。






入った当初は、周りのレベルの高さについていけるか不安になったこともありましたが、練習や試合を重ねていく中でフットサルの楽しさにも気づいていき、山本(色んな界隈のスペシャリスト)やトップに上がったタイミングで府リーグもスタメンで出れるようになり、吉田(人としての底が見えへん)と一緒に得点を量産できたし、自分で言うのもあれですが割と順調なスタートを切ることができたと思います。ただずっと順調なはずもなく、府リーグの京大戦で親指を相手に蹴られて大学初の負傷をしてしまいました。痛みに耐えながらなんとか1ヶ月半で完治したと思ったものの痛みがぶり返し、年明けにようやく治すことができました。ようやく怪我が治り、サテからトップの昇格争いが始まるオフシーズンの2月3月が近かったため、これから頑張っていくぞと意気込んでいたタイミングで両足首が痛むようになり、もう一度見学の日々を送るようになってしまいます。病院で診てもらうと手術しないと治らない怪我でした。終わりの見えない怪我と闘いながら、プレーできないのに見学に行き、榎田(ビックダディ)や越智、栢割(今まで出会った〜太郎の中で2番目におもろい)と家に帰る。一緒にプレーしてきた同期や途中加入の床(ヴラホヴィッチ)は、みるみる成長し、楽しそうにフットサルをしている。見学をしていく中で、なぜ自分だけがここまでつらい思いをしないといけないのか、(毎日こんなんしてて何がおもろいねん)と心の底から思ってました。ただ当時は、2ヶ月も休めば痛みが引くだろうと感じていたし、関東遠征での佐藤(ツッコミの間が絶妙に下手)との漢くさいディズニーデートなどを楽しんだりしていたので、なんとか見学の日々を耐え凌ぐことができました。



そして、ようやく同期の松本()も加入した4月に復帰を果たすことができました。これから、コンディションを上げて5月の府リーグで活躍しようと意気込んでいたためモチベーションはかなり高かったです。そんな中、4月の京大との練習試合で、9月の府リーグでおった怪我の場所をもう一度蹴られ、また同じ場所を負傷してしまいます。正直心が折れました。今までなんとか繋がっていた一本の糸がプツンと切れたような、そんな感じがしました。逆境や打たれ強さには自信がありましたが、さすがに限界でした。周りのみんなにはほとんど言ってませんでしたが、怪我してから数日は、意気消沈していて、手術しないと治らない足首の怪我の影響もあってインサイドパスだけで両足が痛むし、テーピングを巻いてやっても本来できていたプレーができないやりきれなさをずっと感じていたので当時は、チームから去ることは考えきれていませんでしたが、このまま選手として残っても自分にもチームにも何も還元できないのではないかと考え、選手としては、プレーすることを辞めようか割と真剣に考えていました。しかし、去年の偉大な4回生の卒業ブログの影響で、あと少し、あと少しだけ、リハビリをして治療しながらプレーしてみようという決断に至ることができました。今思えば、ここでもう一度奮起できて本当に良かったと思います。本当に諦めなくて良かったです。去年の4回生には感謝してもしきれないです。それから、まつみやさんに見てもらったり、自分なりにストレッチのやり方を変えてみたりしていく中で、段々、怪我に体が慣れてきて、今ではほとんど痛みなくプレーすることができるようになりました。






活動を続けていく中で、多少怪我することは覚悟していましたが、ここまで怪我に苦しめられるとは思いませんでした。逆境や不利な状況になった時、その状況に最低限出来ることや、その時にしか学べないことや見えない景色を大切にしていきたいと、自分の心で、モットーのように決めているのですが、今までの怪我の中で、モチベーションを高く保てず、正直、それを完璧に実行することはできませんでした。でも、よく怪我を乗り越えたと自分ながら思います。ただ、怪我の影響で左足の技術がかなり上達したし、両足のトーキックも自分の武器になりました。何より、怪我しないための体の調整の方法を学べた上に、怪我することの悔しさをたくさん味わうことができました。ここまで、怪我したことで、人一倍悔しさや、やりきれなさをチャージすることができたので、これからはそれを発散いきたいと思います。タイトルにあるように、調子が良い時も、悪い時も、怪我した時も、どんな時でも「泥臭く」、そして、ひたむきに、自分のスタンスは変えずに、体育会生としての自覚を持ちながら、精進していきたいと思います。



つい、長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。





#44 江藤祐太