明鏡塾での帰り道。心地よい風を感じ皆と話しながら稽古後の飲み会に向かう。
「経験がないと、明鏡塾で学ぶのは難しいのではないか?」
そんな話になった。
確かに、経験の少ない若者にとって、明鏡塾での学びは荷が重いようにも思える。
しかし、私は24歳で体験会に参加し、第4期から10年近く明鏡塾で学び続けてきた。
経験も技術も乏しかった当時の私。それでも、明鏡塾から大きな刺激を受け、成長してきた実感がある。
そこには、一体何があったのだろうか。
一つ考えられるのは、理学療法士という仕事に向かう過程で、私は自分なりに「仕事とは何か」「自分はどうあるべきか」を問い続けてきたことだ。
もちろん、当時から明確な答えを持っていたわけではない。この部分は、もう少し丁寧に振り返り、言葉にしていきたいところでもある。
先日、学生時代のノートを読み返す機会があった。
そこには、自分自身を成長させようと時間を費やしてきた形跡が残っていた。
それは単に、勉強を頑張るということではない。
授業にどのような姿勢で臨むのか。日常の出来事から何を学ぶのか。自分はどのような人間になりたいのか。
未熟ながらも、自分自身に問いを向けていた。
そして、その問いをもとに行動し、また考える。そんなことを繰り返していたように思う。
振り返れば、その姿勢が明鏡塾での学びと重なっていたのではないだろうか。
私は昔から思い込みが激しいところがある。何かに可能性を感じれば、簡単にのめり込んでしまう。
それも、当時の私にはよい方向に働いたのだろう。
明鏡塾で刺激を受け、自分自身に問いを向ける。そして、現場に戻って実践する。うまくいかなければ、また考える。
その繰り返しだった。
結局のところ、どれほど素晴らしい学びの場に身を置いても、自分の中に問いがなければ、何も始まらないのかもしれない。
問いを持ち、行動する。
そして、行動したことで新たな問いが生まれる。
この循環こそが、自分を成長させてきたのではないだろうか。
そして今、私は再び、あの頃の若い心でワークに取り組めているように感じる。
ああだこうだと考える前に、まず目の前のことに飛び込んでみる。
考えるのは、その後でもいい。
経験を積むことは大切だ。しかし、経験を積んだからこそ、考えすぎて動けなくなることもあるのではないか。
若い頃のように、素直に驚き、夢中になって取り組む。
そして、経験を重ねた今だからこそ、そこから新たな発見が生まれる。
まず行動する。そこから問いが生まれ、また行動する。
そんな人生の好循環を、私は明鏡塾で学んできたのかもしれない。