皆さま ごきげんよう
去る3日 中国・瀋陽市内のホテルで 『日朝赤十字会談』が 始まりました。
赤十字社の活動は 公平・中立・独立・・・などを原則とし
戦争や災害時に 敵・味方の区別なく 人道的支援を 行なったり
紛争などで 離れ離れになった 家族の安否調査を行ったりしています。
先日の 会談は 約1年ぶり 8回目の会談です。
今までの テーマとしては ・・・・・
第1回(1997年9月・北京) 北朝鮮にいる 日本人妻の 一時 帰国問題。
・北朝鮮から日本への 渡航ルートはどうするか?
・滞在場所は?
・費用は どちらが出す?
その結果、 2か月後の 1997年11月に 日本人妻15人の
里帰りが実現したのでした。
第3回(1999年12月・北京) 食糧支援と 「拉致」 問題。
・北朝鮮は 行方不明者の調査を 当該機関に 依頼する。
(*当時は まだ 〝拉致〟という表現を 使っていません。)
・日本側は 食糧支援を開始するよう 日本政府に提起する。
その結果、 3か月後の 2000年3月に 日本政府が北朝鮮に対し
10万トンのお米を支援したのでした。
私も 個人的に 2005年10月に 精米120トンを寄付いたしました。
当時の日本政府は 拉致問題のことなどで
北朝鮮に 経済制裁を加え、 国内において在日の人々を弾圧、
命綱である万景峰号(マンギョンボンごう)の寄港を許可しませんでした。
その後、高校無償化も 朝鮮学校のみ 外しました。
全ての外国の高校、 アメリカ、フランス、イギリスから インド、ブラジルなど
韓国の学校をも含めて 「無償化」を実施しました。
教育という現場において これは 不公平です。
〝坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い〟は 大人げないことです。
もっと 徳のある政治を!
在日の方達のほとんどは 1936年より 日本が 強制労働者として
日本へ 連行された 朝鮮半島の子孫達です。
1960年代、 インドネシアのスカルノ大統領も アメリカに基地を
許可することを拒否した 随一の 国家元首であり、
ノン・アライアンス・カントリー(中立国)の リーダーとして
ホワイト・ハウスに憎まれ アメリカとその同盟国より 経済制裁を
受けていました。
日本と 北朝鮮の政治の犠牲者である 何の罪もない 気の毒な国民の方々に
思いをはせました。
「愛をこめて デヴィ・スカルノ」 50キロのお米の袋です。
中国の 大連から 平壌駅に 二貸車いっぱいに詰まった
〝こしひかり〟120トンを 北朝鮮赤十字社に寄贈しました。
小泉政権の時、 めでたく 5人の 拉致被害者が帰国した時、
食糧援助をすると約束をしたのに 日本政府は それを反古、
次の 安倍政権も それを無視、 北朝鮮で 200万人も 餓死者が出ているという
情報が飛び交っておりました。
私は 人道的立場で 自費で お米を用意したのです。
調印式にのぞむ 私。 後方に 120トンのお米の山。
朝鮮赤十字社に目録贈呈。 中央はインドネシア大使 バンバン氏
右端は NGO グローバル・レインボー・シップの 故 五味武会長
左は 北朝鮮赤十字会 事務総長 リ・ホリム氏
(今回の 日朝赤十字会談に 臨んだ方です。)
国交のない日本と北朝鮮は 政府関係者が 直接 会談するのは
難しいのですが、 人道的なテーマということで 話し合いをするなら
赤十字であれば 実現するのです。
先日の日朝赤十字会談は 北朝鮮からの呼びかけで実施されました。
〝表〟の公式会議では 日本からは 5名が出席、 日本赤十字社から
田坂治国際部長他3名、 外務省から 小野敬一北東アジア課長他2名、
北朝鮮からは 2名、 朝鮮赤十字会から リ・ホリム事務総長と
外務省から ユ・ソンイル日本担当課長が出席しました。
北朝鮮に残された 日本人の遺骨収集や お墓参りについて
約7時間 協議がされたのです。
今回は 政府関係者も同席をしていたため 赤十字会談とはいえ
とても意義のある協議になったようです。
北朝鮮側は 「国内で 開発が進み 日本人の遺骨をどう扱うかが
課題になっている。」と述べ、 日本側は 「持ち帰り、 政府の担当者と
深く検討する必要がある。」と応じ、 外務省の担当者を交えた
今回と同じ枠組みで改めて協議することで 一致、 日程などを
調整することになったようです。
遺骨問題では 遺族が北朝鮮を訪れ 埋葬地とされる場所を
慰霊するなどしましたが、 遺骨の返還方法を巡る議論は
進展していなかったのです。
また、 拉致や核の問題など おととしの11月の北朝鮮による
〝ミサイル発射〟を受けて 以来 途絶えたままと
なっていたのです。
「拉致問題に関しても 改めて協議を行うこと、 赤十字間のやり取りだけでなく
政府が絡んだ形で これからも知恵を絞って 取り組んでいってほしい。」と
拉致被害者の家族会代表で 田口八重子さんの兄の 飯塚繁雄さんは
話し、「政府は交渉のきっかけを逃さないよう今後につなげてほしい。」と
求めました。
この会談後、 〝裏〟の非公式協議も 行われていたのです。
日本からは 外務省の 小野敬一北東アジア課長、 北朝鮮からは
外務省の ユ・ソンイル日本担当課長の二人で
赤十字会談と並行し、 別室で 2時間弱の会談を行っていたのです。
いったい 何が 話し合われたのでしょう!?
国交のない国同士の 政府の話し合い ・・・・・
日本は 戦争賠償金を 中国、韓国をはじめ アジア諸国に 支払済みですが
北朝鮮のみ 戦後 69年経った今でも 払っていません。
何が 語られたのでしょうか?
問題は まだまだ 沢山ありますが ひとつひとつ解決してほしいものです。
国連の北朝鮮人権調査委員会は 2月17日、北朝鮮の人権侵害に関する
報告書を公表しました。 あわせて、 北朝鮮の指導者らを
国際刑事裁判所(ICC)で 裁くべきだと 国連に勧告しました。
日本人拉致を含む 北朝鮮による人権侵害を
「人道に対する罪」とした 国連調査委員会の報告書が
公表されたことを受け、 日本、韓国、タイの 拉致被害者家族は
今月3日に国連に 拉致問題解決に向けた 決議をするよう
求める声明を 出しました。
声明では 人権理事会に対し、 「安保理事会が 拉致問題の解決、
すなわち、 北朝鮮が 世界規模の拉致を 認定し、
被害者の正確な 情報を各国政府に伝達し、生存者と
その家族の安全を守り、 早急に帰国させ、 亡くなっている被害者の
遺骨を返還するように、 取り組むよう決議してほしい。」 と求めました。
やっとここにきて 国連が 本格的に動き出したのです。
一刻も早く 拉致された方々の生存と 無事の帰国を 切に願うばかりです。
去る3日 中国・瀋陽市内のホテルで 『日朝赤十字会談』が 始まりました。
赤十字社の活動は 公平・中立・独立・・・などを原則とし
戦争や災害時に 敵・味方の区別なく 人道的支援を 行なったり
紛争などで 離れ離れになった 家族の安否調査を行ったりしています。
先日の 会談は 約1年ぶり 8回目の会談です。
今までの テーマとしては ・・・・・
第1回(1997年9月・北京) 北朝鮮にいる 日本人妻の 一時 帰国問題。
・北朝鮮から日本への 渡航ルートはどうするか?
・滞在場所は?
・費用は どちらが出す?
その結果、 2か月後の 1997年11月に 日本人妻15人の
里帰りが実現したのでした。
第3回(1999年12月・北京) 食糧支援と 「拉致」 問題。
・北朝鮮は 行方不明者の調査を 当該機関に 依頼する。
(*当時は まだ 〝拉致〟という表現を 使っていません。)
・日本側は 食糧支援を開始するよう 日本政府に提起する。
その結果、 3か月後の 2000年3月に 日本政府が北朝鮮に対し
10万トンのお米を支援したのでした。
私も 個人的に 2005年10月に 精米120トンを寄付いたしました。
当時の日本政府は 拉致問題のことなどで
北朝鮮に 経済制裁を加え、 国内において在日の人々を弾圧、
命綱である万景峰号(マンギョンボンごう)の寄港を許可しませんでした。
その後、高校無償化も 朝鮮学校のみ 外しました。
全ての外国の高校、 アメリカ、フランス、イギリスから インド、ブラジルなど
韓国の学校をも含めて 「無償化」を実施しました。
教育という現場において これは 不公平です。
〝坊主憎けりゃ 袈裟まで憎い〟は 大人げないことです。
もっと 徳のある政治を!
在日の方達のほとんどは 1936年より 日本が 強制労働者として
日本へ 連行された 朝鮮半島の子孫達です。
1960年代、 インドネシアのスカルノ大統領も アメリカに基地を
許可することを拒否した 随一の 国家元首であり、
ノン・アライアンス・カントリー(中立国)の リーダーとして
ホワイト・ハウスに憎まれ アメリカとその同盟国より 経済制裁を
受けていました。
日本と 北朝鮮の政治の犠牲者である 何の罪もない 気の毒な国民の方々に
思いをはせました。
「愛をこめて デヴィ・スカルノ」 50キロのお米の袋です。
中国の 大連から 平壌駅に 二貸車いっぱいに詰まった
〝こしひかり〟120トンを 北朝鮮赤十字社に寄贈しました。
小泉政権の時、 めでたく 5人の 拉致被害者が帰国した時、
食糧援助をすると約束をしたのに 日本政府は それを反古、
次の 安倍政権も それを無視、 北朝鮮で 200万人も 餓死者が出ているという
情報が飛び交っておりました。
私は 人道的立場で 自費で お米を用意したのです。
調印式にのぞむ 私。 後方に 120トンのお米の山。
朝鮮赤十字社に目録贈呈。 中央はインドネシア大使 バンバン氏
右端は NGO グローバル・レインボー・シップの 故 五味武会長
左は 北朝鮮赤十字会 事務総長 リ・ホリム氏
(今回の 日朝赤十字会談に 臨んだ方です。)
国交のない日本と北朝鮮は 政府関係者が 直接 会談するのは
難しいのですが、 人道的なテーマということで 話し合いをするなら
赤十字であれば 実現するのです。
先日の日朝赤十字会談は 北朝鮮からの呼びかけで実施されました。
〝表〟の公式会議では 日本からは 5名が出席、 日本赤十字社から
田坂治国際部長他3名、 外務省から 小野敬一北東アジア課長他2名、
北朝鮮からは 2名、 朝鮮赤十字会から リ・ホリム事務総長と
外務省から ユ・ソンイル日本担当課長が出席しました。
北朝鮮に残された 日本人の遺骨収集や お墓参りについて
約7時間 協議がされたのです。
今回は 政府関係者も同席をしていたため 赤十字会談とはいえ
とても意義のある協議になったようです。
北朝鮮側は 「国内で 開発が進み 日本人の遺骨をどう扱うかが
課題になっている。」と述べ、 日本側は 「持ち帰り、 政府の担当者と
深く検討する必要がある。」と応じ、 外務省の担当者を交えた
今回と同じ枠組みで改めて協議することで 一致、 日程などを
調整することになったようです。
遺骨問題では 遺族が北朝鮮を訪れ 埋葬地とされる場所を
慰霊するなどしましたが、 遺骨の返還方法を巡る議論は
進展していなかったのです。
また、 拉致や核の問題など おととしの11月の北朝鮮による
〝ミサイル発射〟を受けて 以来 途絶えたままと
なっていたのです。
「拉致問題に関しても 改めて協議を行うこと、 赤十字間のやり取りだけでなく
政府が絡んだ形で これからも知恵を絞って 取り組んでいってほしい。」と
拉致被害者の家族会代表で 田口八重子さんの兄の 飯塚繁雄さんは
話し、「政府は交渉のきっかけを逃さないよう今後につなげてほしい。」と
求めました。
この会談後、 〝裏〟の非公式協議も 行われていたのです。
日本からは 外務省の 小野敬一北東アジア課長、 北朝鮮からは
外務省の ユ・ソンイル日本担当課長の二人で
赤十字会談と並行し、 別室で 2時間弱の会談を行っていたのです。
いったい 何が 話し合われたのでしょう!?
国交のない国同士の 政府の話し合い ・・・・・
日本は 戦争賠償金を 中国、韓国をはじめ アジア諸国に 支払済みですが
北朝鮮のみ 戦後 69年経った今でも 払っていません。
何が 語られたのでしょうか?
問題は まだまだ 沢山ありますが ひとつひとつ解決してほしいものです。
国連の北朝鮮人権調査委員会は 2月17日、北朝鮮の人権侵害に関する
報告書を公表しました。 あわせて、 北朝鮮の指導者らを
国際刑事裁判所(ICC)で 裁くべきだと 国連に勧告しました。
日本人拉致を含む 北朝鮮による人権侵害を
「人道に対する罪」とした 国連調査委員会の報告書が
公表されたことを受け、 日本、韓国、タイの 拉致被害者家族は
今月3日に国連に 拉致問題解決に向けた 決議をするよう
求める声明を 出しました。
声明では 人権理事会に対し、 「安保理事会が 拉致問題の解決、
すなわち、 北朝鮮が 世界規模の拉致を 認定し、
被害者の正確な 情報を各国政府に伝達し、生存者と
その家族の安全を守り、 早急に帰国させ、 亡くなっている被害者の
遺骨を返還するように、 取り組むよう決議してほしい。」 と求めました。
やっとここにきて 国連が 本格的に動き出したのです。
一刻も早く 拉致された方々の生存と 無事の帰国を 切に願うばかりです。