「小沢総理誕生」 を願って、 私は連日のようにブログに書きつづけ、


サポートして参りました。



8月24日 小沢一郎さん、 天命と思って代表戦に出馬して下さい!


8月26日 祝 小沢一郎総理 誕生、  この風格!


8月30日 小沢氏、 意味ない世論に構わず 突き進んで下さい!


8月31日 小沢氏! 出馬表明 嬉しい限り!


9月2日 小沢氏を貶める陰謀、 打倒 日本のマスコミ!  



多くの方から それは真摯で 貴重なご意見を いただき、 有難うございました。





読者のコメントで 下記のような身震いするようなものがあり、 驚きました。




「13 ■小沢総理誕生を!


昨夜のBSイレブン 「インサイドアウト」 水曜司会の 小西克哉氏が、


地上波テレビ・大新聞をはじめ 大手メディアの異様なまでの


小沢氏たたきは 公平さに欠くという発言をなさっていました。


なぜ 大手メディアはここまで小沢氏をたたくのか よーく分かりました。


それは、 「記者クラブ廃止」 と 「官房機密費」 問題です。


記者クラブが廃止になれば 情報を独占できないし 情報操作もできない、


歴代の政権から 官房機密費の 一部を 長年にわたって貰い、


毒まんじゅうを喰らっていた事が 白日のもとにさらされれば


自分達の存在意義が疑われるし けっきょくは小沢氏が総理になると


自分達の既得権益が侵されるから、 それが怖いからたたく、


何と愚かな記者クラブの連中。 今日の 共同会見でも 記者クラブの


連中の 「説明責任」だの「政治と金」だの 相変わらず品のない質問ばかり。


それを言うんだったら 自分達が毒まんじゅうを喰らっていた事の


説明責任果たせよと 内部調査しろよといいたいです。


都合良すぎ。 小沢さんにはぜひ総理になって、 記者クラブ廃止と


官房機密費公開という、 政治とメディアの関係の情報公開をしてほしいです。


今、まともな情報を発信してくれているのはデヴィ夫人のブログをはじめとした


ネット CS・BSくらいでしょう。 デヴィ夫人がおっしゃっているように日本国民、


ここで目を覚まさなければいかんぜよ! 」





こんなにも マスコミの世論操作に動ぜず、 小沢氏を信じている方が


多くいらっしゃると知り、 大きな喜びを感じております。


こういう方達がいる限り、 日本も捨てたものでない、 大丈夫だ!と


胸に熱いものを感じました。



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さて、 一方、 本日、 ある若者に 私は大変失望いたしました。


「押尾学」という何て、 馬鹿な男でしょう。


119番をしなかったのは、 当然保身のため。


でも、 人は、 押尾学が、


とんでもないことが 起きてしまった。


とんでもないことを してしまった。


どうしてよいか、 自分の身に大変なことが起きてしまう恐怖から


119番出来なかった。


僕は、 卑怯にも現実から逃げてしまった。


彼女の命より保身に走ってしまった僕を、 許してください。


愛するお嬢さんを失わせてしまい、 償いようのない罪を犯してしまったと


ご家族に手をあわせて謝り、 自分の罪を詫びていれば、


情状酌量の余地があったかもしれない。




なのに、 あれだけ傲慢に、


「MDMAは、 彼女が持ってきたものを 彼女が飲んだ」


「119番を呼んだって助からなかった」


人間として、 例え助からないかもとわかっていても、 呼ぶのが人の道。


「きたら すぐいる?」と彼女にメール、 彼女は「いる」と返信。


これは、 本当はどういう意味だったのか?





彼の弁護士達も馬鹿ですね、 「無罪」を狙うこと事態が、 おかしい。


押尾学に、 反省が微塵もみられず、 傲慢さだけが残る。


密室で、 死人に口なしと思って、 どんな作戦を立てたのか。


ベットの上に、 彼女が胡坐をかいて、 変な事をわめき始めた時、


すぐに119番すれば、 彼女は一命を落とさずにすんだのかもしれない。


彼は人命よりも、 保身を選んだのだ。


自分が何よりもかわいい 利己主義者なのだ。




彼に どんな刑が 下されるかわからないが、


それは 彼のしたことと、 しなかったことだけではなく、


彼の〝人間性に対しての罪〟だと、 私は思う。


多分 彼は 亡くなった田中香織さんのことを、 「なぜ死んだのか」と怨み、 


「お前のために、 俺はこんな目にあっているんだぞ」と


怒り狂っているに 違いありません。


あのふてぶてしく、 格好つけた態度は、 人に反感しかもたせません。


人が一人亡くなっているのです。 


愚かですね、 「押尾学」という男は。