賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ・下鴨神社)というより御蔭神社 | 鈴菜の自分との対話生活♡

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秦氏に関することを、神社ベースで書いている。

木嶋坐天照御魂神社広隆寺(太秦殿)

次にこちら

賀茂御祖神社(下鴨神社)の御祭神の荒御魂が御鎮座されている「御蔭神社」。

秦氏というより賀茂氏メイン。

有名な賀茂御祖神社(下鴨神社)

御祭神は・・・

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)→広隆寺の方でも名前でた、八咫烏に化身した神。

玉依媛命(たまよりひめのみこと)→賀茂建角身命の娘。

父親と娘で御祭神。

関係ないけど、「梅宮大社(うめのみやたいしゃ)」も父と娘で、こちらは大山祇神(おおやまつみのかみ)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)。

 

下鴨神社は京都でも有数の観光名所で、いつも多くの参拝客で賑わっている。

下鴨神社の摂社扱いになってるが、こっちが本命で「御蔭神社」。

下鴨神社でも一番古い神事「御蔭祭(みかげまつり)」、昔は「御生神事(みあれしんじ)」と言った(昔は旧暦4月の午の日)。

これは、御祭神を御蔭神社から下鴨神社にお連れする神事で、葵祭の前、現在は5月12日に行われる。

この時期以外の御蔭神社は、ひっそりとしていて人影もない。

 

二年前に初めて一人で行ったとき、神社の領域があまりにも神聖すぎて、踏み込んでいいのか本当に躊躇した。

半べそかきながら道を行くと、不憫に思った神さまが一人の若い女性を遣わしてくれた(笑)

「御蔭神社はもう少し先に入口がありますよ」

それで見つけたこの立て札。

 

昨年はパートナーと行ったが、小さな立て札よりもっとずっと手前に

文科省のこ~~んな立て札が新しく建てられてて、入りやすくなっていた。

 

御蔭神社、御蔭山・・・今ではこう呼ぶが、昔は御生神社(みあれじんじゃ)御生山(みあれやま)と呼ばれていた。

字のごとく、神が生まれる場所。

御生神事は、ここで生まれた御祭神を毎年本宮に遷すためのものだ。

そして、その後に「賀茂祭」、葵祭と言えば京都三大祭として、あまりにも有名。

 

御蔭神社に話を戻す。

 

 

 

当然、どこかに磐座があるだろうと思っていたが、見当たらない。

でも、神事の際に磐座を使うことが明記してあったので、やはりね・・・と思った。

 

華美なところは何もなく、山道の先にひっそりとある。

賀茂氏は、この一帯をとても大切にしていたのだろう。

御蔭神社のもともとあった場所は自然災害の影響を受けやすかったらしく、今の場所に遷されたとあったが、この場所でも充分すぎるほど神聖だ。

市内にある本宮(下鴨神社)は、言ってみればフェイク。

御蔭神社に人が押し寄せないように、遥拝所みたいに建てられたのだろう。

 

この御蔭神社のすぐ後ろには比叡山があり、比叡山を琵琶湖方面に抜ければ、日吉大社がある。

日吉大社の東本宮は大山咋神(おおやまぐいのかみ)と鴨玉依媛(かもたまよりひめ)の夫婦。(この二人の息子が賀茂別雷神社(上賀茂神社)の御祭神、賀茂別雷大神(かもわけづちのおおかみ))。

わざわざ「鴨」という字がついている。

こちらにもすごい磐座があり、その前に夫婦の荒御魂の社がある!

ここの一帯が、古代賀茂氏にとって、非常に重要な場所であったことは確かだ。

そして、磐座の存在がとても大切な意味を持つ。

賀茂氏関連で磐座とくると、志明院がある。

やはり、すごい磐座がある。

「鴨川の源流」と言われているが、賀茂氏一族の最初に降り立った場所という意味も含まれていると感じる。

 

磐座・・・それは、通信施設。

だな!!