木嶋坐天照御魂神社(木嶋神社・蚕ノ社)その② | 鈴菜の自分との対話生活♡

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前の投稿を書き上げた後、パートナーきみちゃんと再検証したことをこちらに書きたいと思う。

(基本的に、私がブログに書くネタの大半はきみちゃんとの検証したもの)

前回の投稿はこちら

 

前回も書いたが、この三柱鳥居の周りは水があった。

「糺(ただす)の池」である。

(下鴨神社に御手洗池を遷してから「元糺の池」と言う)

みたらし祭でもわかるように、この水に身体を浸すことで、穢れをはらう。

つまり正しくなす。もとに戻す。

 

先日のガイドさんの話では、三柱鳥居のところから宇宙に繋がり穢れを浄化するそうだ。

それを聞いて思ったのは、「小さな宇宙人アミ」に出てくる宇宙船の中の小部屋(?)。

一瞬で穢れを払う装置。

それと同じものだラブ

 

 

この神社に関して、私が非常に謎を感じていることがある。

これも前回の投稿でちょっと触れているが、この「糺の池」の西側に、たくさんの小さなお稲荷さんの社がある。

その中央は、非常に重い・・・足がすくむ。

写真はない(笑)

撮りたくない(笑)

天上界に繋がるような池の横に、なぜ地獄のような場所があるのか。

そして、なぜお稲荷さんなのか。

 

 

ここには、いわゆる怨霊的な人物が(個か複数か不明だが)封印されている。

封印には稲荷(狐)の力を使っている。

その理由は、地のエネルギーと同調するからだ。

九尾の狐に代表されるように、その霊力は強い。

ただし、良い方向に使われれば豊かさをもたらし、悪い方向に使われれば祟る。

 

711年、秦伊呂巨(はたのいろこ)によって稲荷大神が御鎮座になった。

秦の名を名乗っているが、例のガイドさんは賀茂から秦に婿にきた人だと断言していた。

付け加えると、松尾大社を作った秦都里(はたのとり)も賀茂からの婿。

前回、秦と賀茂は同じ種族だと思うと書いたが、厳密には役割が違うのだと思う。

賀茂は呪術的なことを専門としていたのだろう。

陰陽師といえば安倍晴明だが、彼を指導したのは賀茂氏。

陰陽道の祖は賀茂氏。

一方の秦氏は、呪術的なものを現実に生かす技術を持っていた。

(安倍晴明のお母さんが白狐と言うのも、何か面白い)

 

稲荷神社というと、豊作や商売繁盛というイメージが強いが、本来はその土地の魔を封じる役割を持っていたのだろう。

魔を封じる力を保つためには、人々の信仰が必須となる。

これもガイドさんに聞いた話だが、「鴨ねぎ」って言葉がある。

「鴨が葱をしょってやってくる」

獲物がまんまとやってくるという意味合いになってる。

けれども、本来は違うということだ。

漢字を変えればわかる。

「賀茂が禰宜を背負ってやってくる」

賀茂氏が禰宜(神職)を連れてやってくる。

何の神職かといえば、稲荷神社。

何のためにかといえば、その土地の魔を封じるためではないか。

稲荷神社が日本一多いというのもうなずける気がする。

 

(これは我が家にいる狐さんだ)

 

宇宙に繋がる元糺の池と、地獄界のような稲荷社にかこまれた場所。

これが表裏一体のようにあることで、キリスト教的な天国と地獄を表しているのではないか。

そして、全くの憶測ではあるけれど、封印されているのは物部氏かはたまた・・・

 

広隆寺のためにこの神社は創建されたが、もともと秦一族の祈りの場であったことは確かだろう。

だからこその三柱鳥居だ。

秦氏にしても賀茂氏にしても、一族の主要メンバーの中にはいわゆる霊能者がいてもおかしくない。

いや、今よりよっぽどすごい人が何人もいたのではないかな。

聖徳太子は、イエスキリストの下で学んでいた人物の生まれ変わりともいう。

(これはきみちゃんが当然のこととして言っているので、そのソースがあるのかどうか不明)

ユダヤの失われた10支族の末裔の秦氏&賀茂氏が、そういう意味でも聖徳太子をバックアップしていたのだろうと考えてもいいと思う。