「面白さ」には限界がある。
なかなか理解されないが、そんなことを昔から感じている。面白いものに触れるのは快感だが、その「面白い」が度を越して面白かった場合に陥る無力感を味わったことがあるだろうか? 俺はある。ごくたまにだけど、感動しすぎて絶望してしまうという複雑な心境だ。
『ラ・ラ・ランド』という映画を観て、久々にその気分を味わった。
鑑賞中はこれ以上ないほどの幸福とワクワク感に満たされていたが、映画が終盤に近づいてふと我に返ると、自分が映画の住人ではないことに気づいて愕然としてしまった。「いま俺は映画を観ているんだ」という現実に押しつぶされそうになるというか、とんでもなく素晴らしい芸術を目の前にして、俺は単なる部外者であり、単なる観客であることを思い知らされることの残酷さというかね。
あのね、たとえば学生時代にソングライティングの真似事なんかしていて、俺には音楽の才能あるかもなんて何の根拠もなく思っている時期ってあるよね。そんなときに斉藤和義の音楽なんかに出会うとするわな。『君の顔が好きだ』をはじめて耳にするわな。当然すげー衝撃を受けるわな。最初は「うわ、いい曲だ」なんて思うわな。でもいきなり嫉妬心が芽生えるわな。ちょっと待てと。なんでこのメロディを俺じゃなくてこいつが思い浮かんでんだよと。こんな凄い曲が俺とはまったく関係ない場所から生まれたことへのショックでギターをぶん投げて無力感に陥るなんてことない? だから俺はあるんだってマジで。
まさにそれ。『ラ・ラ・ランド』はすべてにおいて想像のはるか上を行く映画で、まずミュージカル映画を超えている。ラブストーリーを超えている。踊りながら「夫婦を超えて行け」なんて言っている場合じゃない。この作品は踊りながら映画表現の上限のさらにずっと上を超えていく。そんな凄いモノを、ただ観ていることしかできない自分。圧倒的なエンターテインメントを前に、俺は全身全霊で楽しむことしかできなかった。いや、実際それでいいんだと思うけど、「楽しい!素晴らしい!でも待てよ? 俺自身はただこの席に座っているだけじゃん」という残酷すぎる現実。ほんと残酷だなあ。
映画終了後は、誰ともこの作品について話したくなかった。「面白かった」とかいう軽い言葉では感想を言いたくないって気持ちわかる? 一緒に鑑賞した友人もまさに同じ気持ちだったらしく、どーでもいいくだらない話をしながら帰路についた。そして最後に「今すぐ死にたい」という感想だけはお互い一致したのであった。
俺ごときがこの作品を勧めるのはおこがましいので、観てくださいなどとは口が裂けても言えない。どうせ、みんな観るんだろうから具体的な感想も書くつもりはないし、ほんと生きててすいませんとしか言えないわけだが、それでもこの作品を観れたことは幸福以外の何物でもないので、うーん、どうしよう。とにかく死にたくなるほど凄い映画だった。
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