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デヴォンズゲート

映画をとことん冷めた目で見る男「デヴォン山岡」による、
独自の視点による映画感想文。

 

 最近、芸能人のみなさんの間では、覚せい剤やら不倫やらの発覚で人生台無しにするのが流行っていますが、「それもまた人生じゃん!ドンマイ!」などと、彼らの第二の人生を微笑ましく応援したくなる映画を観ました。

 

函館を舞台にしたオダギリジョー主演の人間賛歌で、スクリーンの中に自分自身が入ってしまったかのような臨場感の作品です。


なんというか、劇場内の明かりがつくまで、自分が映画を観ていたことにまったく気づかない感じ。こんなに味わい深い作品は人生でなかなかお目にかかれないんじゃないかってほどの傑作。

 

 オダジョーさんは、第二の人生を歩むために、ゼロからやり直そうと職業訓練校に通う中年です。たぶんなんかあったんでしょう。学校内でも孤高の存在で、プライベートでも当然ひとりぼっち。あえて、孤独でいようとし続けている雰囲気で、まるで贖罪でもしているかのような禁欲的な生活を送っています。

ある日、蒼井優演じる「変な女」と出会います。この女がかなり変で、たぶん精神的な病気。周囲からもキチガイ扱いされている。


そんな、社会からちょっとだけ外れている二人によるラブストーリーがこの作品の核になっております。

 

 ふむ。傷だらけの男女による恋愛の緊張感というか危うさってたまんないですよね本当。一歩間違うと破滅的にも見えるギリギリの恋愛模様が展開。で、その恋愛がスリリングであるゆえに、セックスシーンなんかはもう眩暈がするほどエロいです。たまりませんマジで。

 

あのね、第二の人生ってのは、文字通り「第一の人生」を捨てることが最初の一歩じゃないですか。作中には、この2人以外にも越えなければいけない過去がある登場人物がたくさん出てきます。


踏み出さなくてはいけないことはわかっているんだけど、どうしても越えられない。理屈じゃないんです。過去の自分が犯した罪の重さに押しつぶされているんだからしょうがない。

 

じゃあ、それを越えるにはどうしたらいいの?

 

恋すりゃいいんだよ!

 

というのは、もちろん俺の独自の見解であります。

いや、恋すりゃいいってものでもないんですけどね、自分自身を見つめなおすうえで、他者との親密なコミュニケーションってのは凄く助けになるよねという意味です。

 

で、恋愛のパワーを盲目的に狂信している俺にとって、この作品のラストはとても腑に落ちるというか、とても希望に満ちておりました。
ああ、一回くらい間違ってもいいんだ。全部無くなっちゃったって、人生はきっとやり直せる。なんて。生きる勇気をもらえる映画。


問答無用の100点満点です!
 

 

 小学生の頃、親戚のお兄ちゃんちに遊びに行ったんだけど、そこには近所の本屋さんなんかでは見た事もないような分厚い「怪獣大百科」があって、当時の俺の心を掴んで放さないウルトラセブンに出てくる怪獣やら宇宙人やらの情報だけでなく、シリーズに登場するすべての怪獣やウルトラ兄弟に関する情報が網羅されていた。

 

お兄ちゃんいわく

 

「よう兄弟、ウルトラセブンの身長は実に40メートルはあるが、場合によってはミクロのサイズまで小さくなることもできるんだぜ、これ豆な」

 

「へー、兄ちゃんはさすがもの知りだなあ。でもそんなに小さくなる意味なんかあるの?」

 

「あたり前だろ。小さくなれるってことは、大きくなることよりもずっと便利なんだぜ」

 

ほう。
小さいことのメリットってなんだろう?

そんなことを考えながら、帰りのロマンスカーの中で、お母さんがむいてくれたミカンを口いっぱいに頬張りながら窓の外の景色を眺めていた。

あ、言い忘れたけど当時は小田原に住んでいたからロマンスカーに乗る機会はけっこうあって、お父さんが俺のために決まって先頭の展望席を取ってくれていたこと、前にも話したっけ?


まあいいや。

でもお父さんには悪いけどその日ばかりは景色を楽しんでいるヒマはない。だって俺はミクロのウルトラセブンのことで頭がいっぱいだったから。

 

小さいと大変だろうな、モノを持ち運びにくいし、人間に踏んずけられたりするかもしれない。いやまてよ? 小さいってことは、このミカン1個で腹一杯食べられるじゃないか。しかも誰にも気付かれずにいろんな場所に忍び込める。

そんなこと考えていたらワクワクしてきて、小さいヒーローも悪くないな。諜報的な意味では最強じゃないか!なんてさ。

 

つまり何が言いたいのかというと、あれから30年以上経っているにもかかわらず、俺は小さいヒーローへの憧れというか、ワクワク感をいまだに持ち続けているんだよという話。

 

 『アントマン』は1,5センチのヒーローで、セブンのミクロには及ばないが、強力な羽アリに乗って飛行移動したり、敵のコンピューターに忍び込んで精密機械を破壊したりして地球を守るんだ。
アベンジャーズ基地に潜入したときは、さすがにすぐに見つかってしまったが、あのファルコンを出し抜いたのは凄い。
ファルコンのやつ「キャプテンには内緒だ」なんて部下に言っていたくらいだから相当バツが悪かったんだろうね。
しかもアントマンは、ミニサイズと通常の人間サイズ、一瞬でサイズ変更できるので戦い方も奇抜で刺激的なんだ。

 

見かけはチビだけど最高に頼りになる奴、そんなアントマンがもしアベンジャーズの仲間入りしたらと思うと、俺のワクワクは興奮度マックス。

 

 それは、後のマーベル作品『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』で実現することになるが『アントマン』鑑賞時には夢のまた夢って状況だったので、とりあえず作品単体での評価はこうなる。

 

100点満点

 

 

 

 

もの凄い映画を観てしまいました。
稀にですが、映画を観ただけで世の中の仕組みが手に取るようにわかってしまうことがありますが、今回はまさにそんな感じ。

 

「ふむ。なるほど。わかった。」などと納得して帰路につく。
わかっちゃったんだからしょうがない。いや、もともとわかってはいたけれど、この作品がそれを改めて明確にしてくださいました。

 

何がわかったかというと、それはもう「狂気のメカニズム」としか言いようがないです。この世におけるすべての「狂気」と呼ばれるものの正体がわかりました。人間社会における「抗争」や「暴力」や「呪い」などのシステム全般が、たった150分くらいですべて説明されてしまうから凄い。

 

 韓国のスリラー作品『コクソン/哭声』は、従来のサスペンススリラー映画にはない異様な緊張感と不快感に満ちていて、なおかつ刑事ドラマとしても一定以上のクオリティがあり、さらにユニークな人間描写も的確に表現しているという、びっくりするほど繊細で良くできた映画でした。

 

 舞台は韓国のド田舎にある農村。その村に得体のしれない日本人(國村隼さん)が移り住むんですが、それ以降、村の住民が狂って人殺しをするようなおかしな事件が相次ぐわけです。で村の人たちは、よそ者の國村隼さんが怪しいと疑い出すところから物語は始まります。「あいつが村に来てから殺人事件が多くなった!」てな具合で、國村隼さんは恐れられ、当然警察も彼を調べはじめます。そこから何が起こるか? とんでもないことが起こります。

 

「なんじゃこりゃ」

 

というのはもちろん鑑賞中の俺自身の心の声。

殺人事件から幕が上がり、猟奇サスペンスと見せかけて途中でぜんぜん別の映画に変貌。後半、さらに一転したかと思うと、クライマックスでは「今まで2時間かけて見て来たモノは一体なんだったんだ?」と、作中キャラと観客が同時に混乱し、エンドロールでは「終わったのか?終わっていないのか?」すらわからないというとんでもないモヤモヤが残るという離れ業。

 

わかることはただひとつ。
物語の根底にある「どんな人間も闇に堕ちうる」という、幽霊やモンスターよりも恐ろしい現実のみ。この感想文を書いている今もゾゾッと背筋が寒くなっているんですが、人間って自分にとって都合の良いことしか見えない生き物で、それが直接ではないけど「狂気」に繋がっていくんですよーという地獄のメッセージを受け取りました。

 

つまり今世紀最大に怖い映画です。
上映終了後は、膝がガクガクして思うように歩けなかったのでとても迷惑しました。まったくけしからん作品ということで採点は厳しめにしました。

 

100点満点。