「社会に対して実存主義(心理)的なものを望み、心理に対して構造主義(社会)的なものを望んでいる」 | 「向こうの景色を見に行こう」

「向こうの景色を見に行こう」

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ツインレイ(魂の片割れ)は「己の真実」を生きるのです。それがどう言うことなのか、自分で考えられるはずです。

己の人生に責任を持って、自分と向き合って、「0」から進んでいける覚悟を持てるのがツインレイです。
それは“新しい”創造のはじまりです。

を述べる私の7人目のツインフレームの彼女の話。

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私は「一対一」が得意なのです。
で、私の7人目のツインフレームの彼女は<一対全体(複数)>が得意なのです。たぶん。

私だって一対全体はできますよ。
彼女だって一対一もできます。
ただまぁ、傾向と言うか。

どっちが優れている。と言うものではありません。
向き不向きみたいな部分です。


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おそらく、ツインレイに出会う前までに、どっちかに寄った処世術を手に入れたはずです。
私で言うなら「 一対一 」です。
で、ツインレイに出会ってから“徹底的”に< 一対全体 >を学ばされます。

で、まぁ、それが終わってまた一対一に返ってきます。

「 一対一 」

< 一対全体 >

一対一(一対全体)

 

逆ルートもあると思います。

< 一対全体 >

「 一対一 」

一対全体(一対一)

 

 

最終的に、ツインレイ男性の職業傾向に連動すると思われます。

 

 

もちろん、相手も自分です。
その理解があるから、そもそもどうして、自分がそれに寄った人生を送っていたのかが理解できるはずです。

“そこまで来て”おそらくその反対側を手に入れる。は抜けられると思われます。


理論で言う詳しい話は、彼女のこの話だと思われます。

 

「己を叶えるため」だったはずなんですよ。たぶん。最初は。

混沌の世界での言い分はこうである。
「あなたはわたしである」

秩序の世界での言い分はこうである。
「あなたはわたしではありません」

このふたつのうち、この地球での言い分は「あなたはわたしではありません」である。

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簡単に説明すると「あなたはわたしです!」と、この世界で言えるか? っていうと「頭大丈夫?」って言われて終わるよってこと。

つまり、混沌世界の思想は、この現実世界では頭おかしい思想なんだよ。その自覚をちゃんと持っておかなきゃダメ。

 

 

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彼女が新しい視点で面白い話をしていました。

『構造主義』と言うものらしいです。

はじめて聞きました。

それについてまず、この話がいいと思う。とリンクがあったのでまずはそちらから。

 

構造主義とは、人間の言動はその人間が属する社会や文化の構造によって決められていると考える思想です。(哲学用語図鑑 参照)
文化人類学者のレヴィ=ストロース(1908~2009)が構造主義の発案者だと言われています。
「人間に主体性や本質がある」という考え方を疑います
科学を重視する現代に主流な考え方でもあります。
私たちの思考は気がつかないうちに構造主義になっているのです。
では、詳しく見ていきましょう。

構造主義の捉え方
構造主義は、私たちの行動や考え方は社会の枠組みやルールで決められているという考え方です。
自由な人間の本質を否定します。
人間は構造に当てはめられている、と考えます。

...

個人単体ではなく、全体の差異を個人だと見なします。
人を構造でみるのが構造主義です。  
社会や文化という全体の構造があって、その中の差異が個人になります。

...

「私」は「私でないもの」から作られるということです。
人間が元々、世界にある構造(私でないもの)から「私」を作っていくことがわかってきたのです。
「完全に自由な人間なんていない。構造が元にある。」 このようなことが証明されています。
ただこれは悲観的な面だけではありません。
個人個人に焦点を当てると、「私はなんて孤独なんだ」と思うことがありますよね?
世界に一人ぼっちな感覚。
でも、孤独ではなくなります。
視野を全体にもっていく。
すると、これは「すでにある構造」で理解ができるようになります。
「私は今、孤独を感じているけれど、このような孤独を感じている人が他にもいる。」
そうやって他の人も一緒だと思うと、寂しくなくなります。
悩みを構造で理解することができます。

 

図がとってもわかりやすいです。

話も面白いです。


さらに、ここから発展した彼女の考察があります。
変わらず渾身の文章ですが、ドンピシャで必要分だけ引用します。

 

世明けのツインレイ 魂の法則性によるツインレイ解説
ツインレイと『構造主義』による無価値観の克服

多くの人がこの部分の意識が反転しているような気もした。

社会に対して実存主義(心理)的なものを望み、心理に対して構造主義(社会)的なものを望んでいる。

心が折れると思う。

社会に対して「自分はこんな人間だから自分勝手に自分の人生を生きるよ」と主張したら協力は崩壊する。当事者は社会性のない人間となる。これを孤独とする。

心理に対して「おまえは主体性も何もない人間で、他者により構築されているよ」と教え込んだら自己の崩壊が起こる。当事者はどう生きたらいいのかの自分の決定権を失うようになる。不安障害みたいになるだろうね、自分が他人に感じられるんだから、自分がいないということはアイデンティティの崩壊を意味する。病むよね。



このふたつによる人間の人格構成による成功と不成功は同じである。

人格が成功した場合、多くの人と調和することができる主体性を持った存在となる。
不成功となった場合、人と調和することが出来ずに嫌われて孤立・孤独となる。

不成功となる原因は、自分の存在の為に他者を迫害する意識。そして、人と自分の差において優劣をつける意識。

このふたつによる意識が不成功のトリガーとなる。不成功とは何かというと『心理学的に孤独』『社会学的に孤立』にある。

実存主義を極めぬくと『孤独』である。この孤独に耐えられるのが実存主義にある。(哲学者とかね)

構造主義を極めぬくと『孤立』である。この孤立に耐えられるのが構造主義にある。(個人事業主とかね)

孤独なんだけど、構造主義を理解していれば全然孤独じゃないんだよね。孤立している存在なんだけど、実存主義を理解していれば全然孤立していないんだよって感じになる。

いわば、孤独は善か悪か——という個人の感覚が違うのである。

簡単に言うと、経営者ってなんでか哲学好きだよねっていう理由はここにあると思われる。

 

こう言う話が得意なのが彼女です。