決められたゴールに導かせようとする子離れできない母親のような存在に虫唾が走るのです。
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例えば、成人済で何年も引きこもりの息子に、
「むちゅこんたんはダメじゃないんです、今からでも頑張ればお医者さんになれるんです」みたいな、現実の見えていない母親とか。
いやわかりませんよ、本当にできるかもしれませんが、それが本人の希望なのかわかりませんよね。
だって、本当にそれが叶うか確立低いですよね。
息子の今の結婚相手に不満があって、前の彼女と結婚して欲しかったと未だに言い出すような。
他にも、すでに就職している子供に、その母親の職が一番素晴らしいと思い込んでいて、今からでも自分と同じ職に就けたいと思っているとか。
いますよね。
「子離れできない親」って。
話を変えます。
じゃぁ、今からですよ。
まさに今、自分の親に。
例えば、母親に、
「あなたには今からでも看護師になって欲しいの。それがこの世で一番やりがいがある職で、あなたが幸せになれる方法なの」
すでに看護師の人は別の職を当てはめてください。
自分がそれになりたくない職を当てはめてください。
みたいに言われて従うのか?
ツインレイ男性の幸せを考えると前置きして、
「私と違う女と結婚しても彼は幸せになれる」って、ゆってること一緒じゃないのか。と。
本人がどう思っているかもわからずに、
「あなたはこうなれば幸せになれるの」と、己の理想を語っているだけ。
・「“私が”相手の幸せを願う事で相手に幸せになって欲しい」ってエゴじゃないのか。と思うんですよね。支配と言うか、母親みたいですよね。
貴方がこうあれば幸福だろうと、“勝手に”決めつけることはできないのです。
だから、
・相手の幸せを願えますか
・相手が自分じゃない相手と結婚しても受け入れられますか
なんか違いますよね。
だって、相手が、
「これなら幸せであるだろうと言うその状態」を、例えているじゃないですか。
「私の思う幸せを感じて欲しい=私の想定内にいて欲しい」と言うことです。
そもそも、
相手が「幸せになりたいと思っているはずだ」と言う憶測でしかないのです。
それを決めるのは私ではないのです。
だからそれは支配のように思うのです。
息子の幸せを願う母親視点のような。
まぁ、母親気取り。と言うか。
あくまで、上に立ちたい。
「私が主導権を握っている」みたいな。
ちなみに気になるんですよね。
・相手の幸せを願えますか
・相手が自分じゃない相手と結婚しても受け入れられますか
これって、ゆっちゃえば、
「私はふられた訳じゃない。私からふったんだ」
みたいなものでしょうか?
相手が自分じゃない誰かと結婚している。
・男性に結婚願望がある
・それだけの経済力や能力がある
ことを期待しているとも取れます。
あえて言うなら、そこに自分を当てはめていますよね。
彼が結婚できる(している)なら、いつか自分がそこに後釜に入っても大丈夫みたいな。
また、
・自分が選んだ男が落ちぶれるなんて認められない
・私の見る目は確かだった
と言う証明がしたい。とも取れます。
「私が間違っていた訳じゃない」「自分が時間を無駄にした訳じゃない」みたいな。
そこに価値(私の相手は立派)を見出すことで、自分の間違いや何かを認めたくないと言う気持ちもあるような気がします。
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やっぱり、
「私はふられた訳じゃない。私からふったんだ」なのでしょうか?
だから、
「己の理想とする幸せ」の延長の枠の中にツインレイ男性がいることを「相手の幸せ」として例えるのです。
これって、裏を返せばツインレイ男性に対して自分が、
「いつか王子様のように迎えに来て欲しい」
と思っている。なのかもしれません。
それが「本音」とでも言いましょうか。
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私も貴方が迎えに来てくれるのだろうとそうは思っています。
私は私で、貴方は貴方です。
私は貴方で、貴方は私です。
今の貴方が、私が過去に憧れて理想とした王子様でなくても。
貴方は私の最愛の人です。
また、国生みのお話では、結婚式の際に女性から声をかけたのは「正しい交わりでなかった」とあります。
それで伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)の2人は、結婚式をやり直すのです。
しかし、女性である伊邪那美のほうから誘ったため、正しい交わりでなかったということで、まともな子供が生まれなかった。二神は、最初に生まれた不具の子である水蛭子(ヒルコ)を葦船(あしぶね)(※『日本書紀』の場合は、堅固な樟(くす)で作った船『天磐櫲樟船〈あまのいわくすぶね〉』になっている)に乗せて流してしまい、次に淡島(アワシマ)[注 7]が生まれたが、(明記こそされていないものの)またしても不具の子であったらしく、ヒルコともども伊邪那岐、伊邪那美の子供のうちに数えられていない。(『日本書紀』第四段本文では、イザナミがイザナギより先に声をかけたところ、イザナギが「吾は是男子(ますらを)なり。理(ことわり)当に先づ唱ふべし。」と言ってもう一度やり直しただけである。)
悩んだ二神は別天津神の下へと赴き、まともな子が生まれない理由を尋ねたところ、占いにより、女から誘うのがよくなかったとされた。そのため、二神は淤能碁呂島に戻り、今度は男性である伊邪那岐のほうから誘って再び目合った。
実は、私はこの話を中学校の図書室にあった漫画で読みました。
日本の歴史。みたいな漫画で「国生み~神生み」から始まっていました。
今にして思えば古事記を漫画にしたものだったのかもしれません。
不思議なお話なのですが。
当時の私は、じゃぁ「結婚は相手に申し込んでもらおう」と漠然と受け入れたのです。
もちろん、過去に私が好きになって男性に告白したことはありますが、ふられました。
告白されたこともありますが、ふりました。
結婚願望もあって、婚活とかしたこともありましたが、とあるきっかけに止めて、
・私が結婚に憧れながら、無理にしなくてもいいかと思えたのは。
ツインレイをまったく知らなかったころ、結婚に憧れて合コンや婚活パーティーに行ったことはあります。
しかし、どうにも、どうしても結婚!! と意気込めなかったのです。
なんたって、「結婚」して「離婚」した。と言う見本が目の前にあるのです。
結婚に対する憧れもあれど、憧れだけでは……。と言うのは身に染みています。
離婚した夫婦の子どもは結婚しても離婚する。とか書いてある記事に落ち込んだりもしました。
でも、いい人がいれば。とは思っていました。
やっぱり、世間で言う「結婚」もいいなぁと思っていたからです。
彼氏欲しい、とか。結婚してみたい。とか。
とにかくまぁ、なんとなく宙ぶらりんでした。
それから決定的な出来事が起こって、
もう、一人で生きていこうと思いました。
そして、「私と結婚したい」と申し込んでくる人がいるなら、考えてもいいかな。と、考えることにしました。
もし、私に結婚を申し込んでくる男がいたら考えよう。と、そう考えることにしました。
まぁ、親も離婚しています。
漠然と「男性から声をかける」の話を受け入れたことも、ずっと覚えています。
女性からプロポーズをするのが駄目だと言っているのではありません。
これはただ、それこそ、
「王子様に迎えに来てもらいたい」とでも言うような「乙女の憧れ」の延長の問題です。
それは、私の理想のお話です。