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NPO法人グローバル推進機構 理事 中園のブログ

教育業界に身を置いて思うこととまわりの景色に感じることをつれづれに書きます。

 

身長180センチの私は高校生の時に一気に背が伸びた!

 

高校に入る前は身長157センチで学年でも前から4番目のチビでした。このまま身長は伸びないのかと不安になったが、小さなときに食べたチーズと小中学校時代の異常な運動量が高校になって花を咲かせて大きくなったかと思う。

 

しかし、体重はというと、57キロが高校3年生の記録であり、まったくのガリガリ。妹にルパン三世の足のようとひょろひょろな足を言われたことがある。

確かに鏡に映る自分の足はゴボウのような細さで、フラミンゴみたいだった。

 

それがいつしか結婚して、いろんなことがあると一気に太るのである。

 

事実いろーんなことがあり95.6キロというのが私の体重の最大値である!

 

57から95キロというのには道中様々な事件が発生したが一番の大きな変化は「腹が減る」ことではなく、「腹を満たしたい」欲望に駆られるのである。

 

ごはんの目的は満足度の追及であり、満腹感に至れるかどうかが一番大事なことであった。当然ごはんは大盛り、おかずも油ものやコテコテ系を好んで食べるようになった。

 

そのころになると特技も身についた。

コンビニなどにいって弁当売り場の前に立ち、これを食べようと思う弁当のカロリーを見る。すると、絶対といっていいほどそこに並んでいる弁当の中で一番カロリーの高いものを選ぶことができるのだ!

何度やっても見事に一番カロリーの高い弁当を選ぶことができる!自分でもすごいと感心するのだが、その弁当を買ってしまうのだ。他の弁当は前述の「腹を満たしたい」という欲求に届かない気がする。だいたい1弁当1200キロカロリーくらいで、一日に摂取していいカロリーが2000キロカロリーなんで約半分を昼ごはんの弁当ひとつで賄ってしまう勢いになる。当然、夜は夜で腹いっぱいくらうのだから2000キロカロリーなんてあっというまにクリアーしおつりが出るくらいである。

 

デブのダメなところはいくつもあるが、一番自分がいやになるのが、我慢ができない性分に陥るところだと思う。口がいやしく、すぐ何か食べようとする。すぐにコンビニなどに行ったり、街を歩いていても食べ物屋さんがあると非常に気になるのである。何か腹が減っているから食べたいのではなく、腹は満たされているのに、さらに満腹感を求めるのである。はっきり言ってこの自分が嫌!であった。

 

何度かのダイエットを経験した後、50歳になって病気が治らない!

 

これはダイエットではなく体力づくりのためということでまたまたジム通いが始まったのである。

 

 

今回こそ成功させたい!

 

平成28年12月21日発表の指導要領を読んでみた!

 

 全部で243ページに連なる壮大なレポートに近い!レポートと書いたのは現場間が伝わってこないところにあって、だれが書いたんだろうという感じがするのだ。遠い人が、きっと偉い人が昇進するための論文を書いているような感じの、子どもたちをこんな大人にしなくてはこれからの日本はダメになるから、こうしていくぞ、という力強いものではなかった。本来そんなものを期待するのが間違っているのかもしれないが。こんなものなんか?と思えばそうなのかもしれないけど、もっと現場の声を聴いてそこから改善点などが出てくる帰納的なものであると勝手に思っていたがどうやら違うのだ。

 

 感じるのは学校という制度はすでに疲労していて、単独ではもうまわらないのではないか、「社会との協働」とか「家庭との連携」という言葉がでてきているように、学校の運営は「学校」「先生」「保護者」「地域社会」「外部人材」などの協力なしではその目的を達成できないところまで来ている感がある、ということだ。しかし、従来の閉じた学校制度の中で今だもがいている感があり、様々な問題を旧来のテーブルで解決できないため、多くの不祥事に発展してしまっているのだろう。

「いじめ」「自殺」「教員の不祥事」「モンスターペアレント」「学力低下」この10年に出てきた課題は新たな枠組みでとらえていく考えを持たないといけないのかと思う。

 

 物流、金融、建築、IT、農業まで、様々な業界は大きく様変わりしているのはお客様のニーズが変わってきているからであり、教育業界も子どもや家庭のニーズが大きく変わってきている。にもかかわらず、この業界は相変わらず教壇の上で黒板の前に一人の先生が立って教えるスタイルを戦後70年間続けているのだ。10年たてば、今日現在ある仕事のうち、いくつもの仕事がなくなっていると言われているが、子ども達をその社会に出していく先生は古新聞になってしまったような知識の詰め込み作業を恥ずかしもなくまだまだやっているのだ。

 「アクティブラーニング」「主体的な・対話的な学び」などと書いてはいるが、先生自身が変わることを避けているのに子ども達だけ変われというのはおかしい。

 

 改善ではなくノックダウン&ビルドでいったん破壊してそのあと創成するほうが早いがそんな無茶はできない。

 ではどうすればいいか。教育業界の中からの改革は難しく、外部の風が吹き込むことで内部が変わっていくという変化のプロセスが歴史を振り返るとほとんどどのプロセスであるのがわかる。つまり、教育業界に対して外部にいるものが、教育業界を変えていく先鋒になるのかと思われるのだ。

 

 横浜市教育委員会は「150万円を友達に使わせている児童の人間関係をいじめではない」という。この感覚が生きていることこそが、それもトップが公表していることこそが教育業界が遅れており、井の中の蛙になっている証左である。

 マスコミが批判するのは彼らの仕事ではあるが、外部のどこかが建設的な教育改革の担い手になって進むことを祈るばかりだ。

 

 立派な教育委員会も多いが、くすぶっている教育委員会こそ仕事としてなくなってしまう職種であるということを気づいていないのではないか。

 知識はウイッキペディアで事足りて、それらの情報をどのように、だれのために使っていくかを、その方法を今回の指導要領改正に載せるべきではなかろうか。10年前と比較して小手先の変更を改正というのであれば今から10年後、指導要領はもうないのではないか。

最後の指導要領になるのかもしれない。

 

改革の「ドカン!」が来る前に、私もできることを微力ながら備えたいと思う。

 

 会社の近くに船場センタービルという大きな商店街どおりがある。商店街と行ってもビルが10練連なっており、阪神高速の高架下にある長い商店街ビル群である。

 

 冬のこの季節、会社に続く道の最後の信号を待つのが寒いので、このビルの中で次の青信号を待っていた時のことである。

 

 若い二人が壁にもたれるようにして何やらしんみり話し合っているのだ。男が壁に頭をもたげ、女は両足でしっかり立っている。二人は目を合わせることもなく、コートの襟を立てた女は男の胸元あたりを見ているのだろうか。女の頭越しに視線の定まらない男は壁に張られた居酒屋のメニューを読んでいるようにさえ見える。

 

 別れ話だ!

 

 とっさに感じた直感に間違いはなく、何やら話をしている女の口調に優しさはなく、突き放つようにしゃべっている。女が言葉を発する度に男は鞭でたたかれるようにのけぞったり、首をかたむげたり、うつむいたりするのだ。

 

 女が別れたがっているな!

 

 「しっかりしなさいよ!」。女の声は聞こえた。女は男のセーターのおなかの部分を突っついて何か話しているが遠くて聞こえない。男は突っつかれた手を握ろうとしたが振り払うように女は手を引いている。

 

 このままではどうなるかが気になって信号が渡れないではないか。仕方がないので、少し近くに寄る。

 

 男の煮え切らない態度に業を煮やした女が次の彼氏の出現でそちらに乗り換えるだけの話であった。

次の彼氏は結婚まで意識して女と付き合うつもりらしい!年収も新たな男のほうが高く、女が一度は暮らしてみたい東京の転勤話もあり、一緒に結婚してついていく選択肢も広がっている女に、変化する自分の人生を前向きにとらえているのがよくわかる。

 

 二人が私を見た!

 

 確かにこの距離はおかしい。次のアポがない私は会社に戻るよりここで事の顛末を見届けたい欲求に駆られ、近寄りすぎているのである。ここは逃げずにどうどうとここで待ち合わせのふりをするしかない。誰を待つでもなく、何回目かの青信号をやり過ごしている中で、スタッフが偶然にも通らないかと見渡すしぐさなどをしながら、足を動かすことなく耳だけが盗聴器のように働いているのだ。

 

 男にもチャンスはあった。十分あったのだろう。プロポーズのシーンは旅行の時も、女の誕生日の時もクリスマスも。(なんや一応イベントは一緒にやってるんや!)

しかし、切り出してくれなかったのは残念だったわ!と女。

男はやり直したがっている。

それは十分伝わるし、プロポーズも切り出す条件がそろうのが来年くらいには言えるかと思っていたらしい。年収、昇進、車の購入、女の親族への挨拶。一通りはきちんと考えていて、その準備はきっちりやっていた、と。その事実を女は聞いて驚いている。女は男の目を見て「なんできちんと言ってくれなかったの?」と。

 

 男の声はほとんど聞き取りにくいが女の声は良くとおり、聞き取りやすい。女の声が聞こえないと全く分からない内容であったと思う。

きちんと別れを告げたい女が、優柔不断で、しかし優しい男に、後ろ髪を引かれるのをわかりながらも伝えているのだ。

 

 「新しい彼氏とあの日は泊まったの!」

 

 どうやらこれが決定的なセリフのようだった。この日一番のけぞった男は後頭部をうたれた死刑囚のようにうなだれていた・・・

 

 ドラマみたいや・・・

 

 女が「ダメだと思う」と。

 

 俺もそう思う・・・

 

 遠くてわからないが男が涙しているように見えるのは、俺が泣いているのか?

その話を聞いて、きびすを返して「今までありがとう、幸せになってくれよ!」と終わることが来出たら満点なんだが、男は死体のまま立っているのだ!

 

 異変に気付いた周りの歩行者が二人に一瞥をくれるが、二人は気にならない。

ここまで来た私はもう動くことができない。

 

 男が何かを言っているが女がそれに怒っている。男の声が小さくて私には聞こえなかったが私にはそれのほうがよかった。なぜかもう聞きたくなかったのだ。

 

 

 女の携帯が鳴ったのは新しい男に鳴らしてもらうことを約束していたのか、二人の会話を遮り女が携帯に出た。

 

 女は行かなくてはならないらしい。

 

 「じゃあね!」と女。

「うん」と男。

 

 カッカッカッとヒールの音を残してエスカレーターを降りて行った女に目をやるでもなく死体はまだそこに立っている。

 

 残骸のような男はとぼとぼと、これが本当の「とぼとぼ」だと思えるとぼとぼと、歩き出したのである。

 

 

 

 思わず私も下を向いてしまった。私は何も悪くはないのだが下を向いてしまった。

 

 信号を待つのに30分も待ったのは生まれて初めてであった。残念な気持ちが私に乗り移った別れ話に、寂しい気持ちになったのと、だらしない男へのいら立ちが交錯し、事務所に戻ったのであった。

 

 

 泣きすがる女に「うるさい、ボケ!近寄るな!」って男が振り払うのが一般的かと思っていたのに、こんなしんみりな捨てられ方、それも男。

 

 草食系とか、バイセクシャルとか、トランスジェンダーとか、新しいのがいろいろと出てきているけど、男は「漢」と書き、男らしさを表していたのにどうしたものか。

 

 

 男が捨てられる瞬間を目の当たりにして、今日は焼酎でいっぱいやろう!

 

 なんか、寂しい夜でした。

 

 日本よなんかおかしいぞ!

キャッツ

 

 

初めて見たのはNYに初めて訪れた学生時代の時でした。当時世界一周するため3か月かけて日本から西に西にと進んで行き、スペインからNYに渡ったのが初めてのアメリカでした。いろんな国を回っていたので最後の大国アメリカもひと月かけて縦断しようと鼻息荒く夜のケネディー国際空港に着いたのを覚えています。

 

16ドルの安いバックパッカー用の宿に泊まり、知り合ったフランス人の女性とNYを回っていた時にキャッツシアターなるものの前を通ったので、「いくらでみれるんだろう!」と金のない私とフランス人とでまずはお金のことが気になり相談しました。水曜日の昼間の部は学生なら7ドルだということで、映画より安い!とか言いながら見ることにしたのです。舞台から見て右手の隅の座席で、決して見やすいとは言えない2階席に座りました。高級な服装で身を包みリムジンでやってくる観劇者もいれば、私たちのようにジーパンにTシャツな二人もいる。しかし、同じように迎え入れてくれる劇場にアメリカの大きさを感じながら入りました。

 

私にとって、初めてのミュージカルだったこと、英語で何を言ってるかわからない内容であったこと、それにもかかわらず25人が踊るその迫力と歌声に驚きました。猫の世界をいろんなシーンで見せてくれ、それぞれに見せ場があり、歌の響きと音程がずれることなく、踊りながらそんなことできるの?と感動を通り越して不思議な気持ちになったものです。なによりも役者の真剣さが半端なく、これに命を懸けてるんだと感じてしまうものでした。途中の休憩の時にすでになんか頭がおかしくなり、ミュージカルってなにものなんだ?と感じてしまい、これにすべてをかける人たちがいるんだということに感激しました。

 

二部の最後のメモリーの歌声は圧巻で、グリザベラ役が「touch me~」と歌った瞬間に涙が止まりません!なんで、歌聞いて泣いてるんやろか?何が感動したのかわかりません。その声量と度肝を抜く歌声に脳天を突き抜けられ、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったのです。

 

終わったあとは、「なんやこれは!これがミュージカルか!こんなんが世界にあるのか!」と訳の分からない思いで劇場を後にしたのです。

とにかく初めてのミュージカル、それも有名なキャッツに魂を揺さぶられ、わしずかみにされ、演じている役者と彼らの熱意、その存在そのものに強烈なインパクトを与えられました。

 

 

その後、日本で劇団四季が演じるようになってからもNYのキャッツが忘れられず、ほぼすべての都市での公演を見に行ってます。東京、横浜、札幌、広島、博多。何度見に行ったかわからないくらいです。

 

いま、昨年から大阪で演っているのを暇があれば見に行ってます。地元なんで簡単に行けるのがいいです。たぶん私が見に行く理由はNYでの感激をもう一度味わえるのではないかと思っているからでしょう。

 

 

劇団四季の人たちの仕事は人に感動を与え、芸術を伝え、驚きがあります。ホントいい仕事だなあ!とつくづく感じます。

 

生まれ変わることができるのなら、今度は歌手か劇団員になり、芸術にたずさわる仕事をしたい、といつも思うのはキャッツにやられたからだろうか・・・

昨年の話だけど、FBに載せていたところお会いした友人方からこの話がおもしろいといつも言われるので、こちらのブログにも載せておこうかと思い転載します。

 

文中、不適切な表現が多々含まれているのでここには載せにくかったのですが、まあお許しください。

 

 

 

「博多行きさくら号」

 

 新大阪を出てすぐ3人がけの窓側で志免町のパワポを確認していた。
新神戸から乗ってきた女性はこれ見よがしに忙しそう。通路側に座り化粧をやり直したあとパソコンを取り出し私と同じパワポでブツブツ言ってるからどこかでプレゼンするのだろう!

私と同じ仲間ではないだろうか

 

彼女の荷物が私にあたり、「すみません」と。
彼女が私のパソコンをチラッと見て「プレゼンですか?」と聞かれたので「はい、福岡でプレゼンです。」と、私もニッコリ。「私も広島でやるのですが初めてで!」とそこからしばし歓談。
話しをするとはっきりした女性だ。魅力的!

 

自由席はほぼ満席で姫路駅からは30代のにいちゃんが二人の間の席に乗ってきた。クソォ邪魔しやがって!(笑)
髪の毛はボサボサで小太りな黒縁メガネ。オタク度満載の彼は汚いカバンから漫画雑誌を取り出し前傾姿勢で読み始めている。


読み終わると彼も我々同様パソコンを取り出した。

 

事件はそこで起こった!

 

3台並んだ真ん中の彼のパソコンの画面はさっきまで見ていたのだろうかエロビデオが音量十分で再生が始まったのだ!

おおおおお!

お姉ちゃんが後ろからやられている!

パンパン音のなる喘ぎ声が鹿児島中央駅に向かうさくら号に響き渡る。

 

おおおおお

 

これはすごい。

 

画面がすごいのか車両の見えない緊張がすごいのか思わず私はつばをゴクリと飲み込んだ。

慌てふためいて右端の「閉じる」を押そうとするが、マウスがうまく動かない!(笑)

必死に操作する手が震えている。(泣)

 

映像は次の体位に続くが音量はそのままだ!

 

どうしようもなくなった彼はパソコンを諦めてパタンと閉じたが音だけはまだ鳴り止まなく喘いでいる。

 

隣の彼女が十分大きな声で「最低!」と。


私は心の中で「最高!」と。


通路を挟んで新聞を読んでいた初老のダンディなおじいさんがニヤリとしていたのが印象的だった。

その席におれなくなった彼は立ち上がるとどこかに消え去り、通路側の彼女はまるで何もなかったかのようにパワポを見ていた。

 

 

いま、広島駅を降りていった彼女が出がけに「プレゼン頑張ってくださいね」と。

「お互い頑張りましょう!」と私。

 

うーん、いい女だ。(笑)

 

 

ちょっと大人な朝でした。