平成28年12月21日発表の指導要領を読んでみた!
全部で243ページに連なる壮大なレポートに近い!レポートと書いたのは現場間が伝わってこないところにあって、だれが書いたんだろうという感じがするのだ。遠い人が、きっと偉い人が昇進するための論文を書いているような感じの、子どもたちをこんな大人にしなくてはこれからの日本はダメになるから、こうしていくぞ、という力強いものではなかった。本来そんなものを期待するのが間違っているのかもしれないが。こんなものなんか?と思えばそうなのかもしれないけど、もっと現場の声を聴いてそこから改善点などが出てくる帰納的なものであると勝手に思っていたがどうやら違うのだ。
感じるのは学校という制度はすでに疲労していて、単独ではもうまわらないのではないか、「社会との協働」とか「家庭との連携」という言葉がでてきているように、学校の運営は「学校」「先生」「保護者」「地域社会」「外部人材」などの協力なしではその目的を達成できないところまで来ている感がある、ということだ。しかし、従来の閉じた学校制度の中で今だもがいている感があり、様々な問題を旧来のテーブルで解決できないため、多くの不祥事に発展してしまっているのだろう。
「いじめ」「自殺」「教員の不祥事」「モンスターペアレント」「学力低下」この10年に出てきた課題は新たな枠組みでとらえていく考えを持たないといけないのかと思う。
物流、金融、建築、IT、農業まで、様々な業界は大きく様変わりしているのはお客様のニーズが変わってきているからであり、教育業界も子どもや家庭のニーズが大きく変わってきている。にもかかわらず、この業界は相変わらず教壇の上で黒板の前に一人の先生が立って教えるスタイルを戦後70年間続けているのだ。10年たてば、今日現在ある仕事のうち、いくつもの仕事がなくなっていると言われているが、子ども達をその社会に出していく先生は古新聞になってしまったような知識の詰め込み作業を恥ずかしもなくまだまだやっているのだ。
「アクティブラーニング」「主体的な・対話的な学び」などと書いてはいるが、先生自身が変わることを避けているのに子ども達だけ変われというのはおかしい。
改善ではなくノックダウン&ビルドでいったん破壊してそのあと創成するほうが早いがそんな無茶はできない。
ではどうすればいいか。教育業界の中からの改革は難しく、外部の風が吹き込むことで内部が変わっていくという変化のプロセスが歴史を振り返るとほとんどどのプロセスであるのがわかる。つまり、教育業界に対して外部にいるものが、教育業界を変えていく先鋒になるのかと思われるのだ。
横浜市教育委員会は「150万円を友達に使わせている児童の人間関係をいじめではない」という。この感覚が生きていることこそが、それもトップが公表していることこそが教育業界が遅れており、井の中の蛙になっている証左である。
マスコミが批判するのは彼らの仕事ではあるが、外部のどこかが建設的な教育改革の担い手になって進むことを祈るばかりだ。
立派な教育委員会も多いが、くすぶっている教育委員会こそ仕事としてなくなってしまう職種であるということを気づいていないのではないか。
知識はウイッキペディアで事足りて、それらの情報をどのように、だれのために使っていくかを、その方法を今回の指導要領改正に載せるべきではなかろうか。10年前と比較して小手先の変更を改正というのであれば今から10年後、指導要領はもうないのではないか。
最後の指導要領になるのかもしれない。
改革の「ドカン!」が来る前に、私もできることを微力ながら備えたいと思う。