最近ネットでニュースを読むので、興味のあるところは期待以上に知ることができ、そうでないカテゴリーも十分知ることができている。本当に新聞からニュースを得る機会が減ったかと思う。さらには朝日新聞のチョンボも増えるとますます新聞購読人口が減るのではないかと思う。
さて、いつもと同じくニュースをネットから流し読みしていると目に留まったものがある。
「子どもをあえて持たないことを選択する大人が多い」という記事である。
その理由が、妻が不妊症であるというものではなく、経済的に大変だから一人目はいいけど二人目は控えてしまうというようなものでもなく、結構ひどい。自分の人生が今までつらく、同じような体験をさせるのであればそんな人生を味わうことのないように、生むことを最初から行わないことを選択するのだという。
はっきりいってなんと下品な、自分のことだけしか思いを巡らすことができない貧相な考え方なんだろうか。文章から怒りを感じたのは久しぶりである!
確かにつらいことも人生は多い。生んだ両親が思ったようにも子供は育たないし、社会的にも、両親も含めて生まれてくる子供たちはいろんなプレッシャーがあるかもしれない。
世の中の変化とともに両親が味わったことのないような苦しみが今後来るかもしれない。
戦争に突入するかもしれないし、いびつな宗教が始まるかもしれない。疫病や大災害が連続することもあるかもしれない。
だからといって、そんな起こるかどうかも分からないことに怯えて、自分が子供を持たないことを選択するという発想になるのだろうか。
個人的な考えにすぎないが、子どもを産むことで、自分が子供を持つことで、人生はその親にとって子どもの数だけ意味が増えると思う。いや、幸せも夢も喜びもすべてがそれだけ増えると思うのだ。
子供が生まれるときどうだっただろうか。
子どもが生まれるとき、元気でさえいてくれればいい。五体満足でさえいてくれればいいからと祈るような気持ちで出産に立ち会わなかったか。
ほやっと笑う赤ちゃんのあの顔をみてどれだけ優しい気持ちになれたことか。出産のときのあの気持ちを思い出してほしい。
あれから何年かが経ち、子どもが大きくなるにつれて今度は我々が子供からたくさんのことを学んでいるはずである。
子供に注意している内容はほぼ自分にも当てはまっている。
子供にがんばってこうしたほうがいいよというアドバイスは自分が本来挑戦するべきものであったはずだ。
子供にやってはいけないよという注意は大人全員が守らないといけなかったりするのだ。
子どもを鏡にして気づく大人は、大人になっていく子供のために、我々がやっていかないといけないことを教えてくれているのだ。
ぼやいても仕方がない。振り返って、もう48にもなって自分がなんのために生まれているのかという質問を考えた時があった。今でも考えているけど・・・
社会で役立つ仕事をすることなのか、金持ちになって優雅に過ごすことなのか、おやじやおふくろを楽にさせてやることなのか、会社を大きくして歴史に名を残すのか。
これらは間違ってはいない。
しかし、私の人生の目標は「自分の考えや生き方を『子供に伝えたい』」である。
子どもが生きていく知恵や勇気を、自分の人生を通して伝えたいのである。
『子供に伝える』
そのための自分の人生であり、自分の人生が子供たちの人生の考え方の踏み台になればいいと思う。
自分の人生が参考書になるのがいい。
しかしせっかくの参考書なら、でっかく見栄えのある参考書を作りたい。これが二番目の目標になる。
そんな考えで子供の存在がある私にとって、つらいことがあるからという理由だけで作ることを拒む現代の子供を持っていい適齢期の大人が、生まない選択を堂々とのたまうニュースに腹が立ったのである。
生ぬるい湯に使って、幸せっぽい日々を送って、やってくる死ぬ日まで、一生懸命も知らずに終わればいい、と意地悪な考え方になってしまう。
子供の存在にどれだけ助けられたことか。子供がいたから今の自分がいると言ってもいいと思う。
今まで、いろんなことがあって、帰りの新幹線の中でふと思いました。
のぞみ265号新大阪行きの最終電車にて