この頃「結婚しようと考えているんですが。」と私に相談するやつが多い。
はっきり言って結婚失敗者の私にそんなことを相談するな。俺が相談に乗ってほしいわ!というのが本音。
それでも話だけでも聞いてもらえたら、というので「はいはい」という感じで焼酎片手に居酒屋で耳を傾けるのだ。
はっきり言って内容はくだらない。年収は上がるのですかとか会社の転勤はどうなるのかとか、はては自分の母親との関係であったり嫁さんとの些細な違いを言ってきたり。
「だから悩んでいるんです。」という。
当りまえだ!
誰もが不安で誰もが明日が分からなくて誰もが悩んでいる。
結婚が迫ってきたから悩んでいるのではなく、それは誰もがいつでも悩んでいることに、「結婚」という味付けが少しついているだけのこと。
それを結婚で悩んでいるとか、苦しいんだとか。どんだけ心配性なのかアホなのかわからない。
原因は大体が過保護に育てられているからではないかと思う。
いい大学に入って、いい企業に就職して、一生を一つの会社で添い遂げるなどというのは団塊の世代に生きていた一握りのサラリーマンたちである。
今や夢のまた夢である。
そんな夢物語が最高であると教えられてきた今の若い世代にとっては、人生は穏やかな日々の連続が予約されていたものであると写っているのだろうか。
そこで学んだ20年前の模範解答を手のひらに開いて模索しているのである。
「まじっすか?」
この言葉がはやっているのは、想定外なことを社会に出て直面することが多すぎる彼らが
自分流な唯一の表現で表しているのかと思う。
ゲームのルールが大きく変わる今の世の中において、今日習ったスキルはあっさり役立たずになるものが多いことを知っておくほうがいい。
大学1年生で習ったスキルは卒業時には古新聞のようなものになっているものが全体の65%になっているという統計がある。こんな日進月歩のすさまじい日本社会において本当に役立つスキルは『学ぶ力』であるかと思う。
この「学ぶ力」は、「考える力」や「試してみてわかる経験」や「みんなと行う」などという、やってみないとわからないようなものから成り立っているような気がする。机上の学びだけではとても追いつかないものかと思うのだ。
と、くそまじめに考えたりするのであるが、ニコニコ話を聞いているおっちゃんは心の中では「いい加減にしろ!」と怒っていることを知っておいてほしい。
結婚!
人生の一大事かもしれない。
いくら悩んでいても、心配していても仕方がない。
やってから考えろ。やってから悩んでみるのはどうだろうか。
走りながら考える、て言うのもある。
とにかくきれいにいかなくていいからやってみてよ!
あかんかったら別れたらええねん!(こう思うから私はダメなんだろうか)
そういう私はプライベートにおいてこの春は激変な季節でした。
長いトンネルが明けて、そろそろ社会復帰ができそうなんで、ご挨拶できる一年にしたい!
焼酎が足らん一夜でした!