『ツイン・ピークス』の演技。感情の爆発の美。 | でびノート☆彡

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映画監督/演技講師 小林でび の「演技」に関するブログです。

いま『ツイン・ピークス』を見返してるんですけど、旧『ツイン・ピークス』はとにかく「泣くシーン」が美しいのです。

 

警察官アンディがローラの死体の現場写真を撮っていて泣き出すシーンに始まり、親友ドナ・ヘイワードが教室でローラの死を察して泣き出すシーン。ローラの父リーランドが職場の電話で警察からローラの死を聞かされて泣き出すシーン、ダンスを踊りながら泣き出すシーン、ローラの棺桶の上に倒れ込んで泣き出すシーン・・・。

人間が泣き出すまさにその瞬間をカメラがとらえていて、その時間があまりに美しくて観ている我々の心を揺り動かすんです。

 

 

 

ただこの美しさが成立するためには、ひとつだけ重大な条件があります。

それは・・・カット頭でその人物が泣いていないこと。

 

それさえクリアーしていれば、あとは美しく泣いても、変な顔で泣いても、鼻水たらしてぶざまに泣いても、それはそれは美しいシーンになります。

カット頭では笑っていたが → 気づく → 急激に感情があふれ出して → 泣く

美しいですよね・・・ところが、それを演じるのはホント大変なんです。

 

求められる演技は「カット頭ではその人物は、自分が数秒後に泣いてしまうことをまったく知らない」っていう演技なわけですが、でも泣くカットですよ? 俳優はどうしたって泣く準備をしてしまうじゃないですか! 気持ちを作っちゃうじゃないですか! だってそうしないと泣けないもの。

でもそうするともうカット頭から泣く気配がただよっちゃうんですよ。でもただよっちゃったらもう泣き出してもそれは観客にとって想像の範囲内の事になっちゃうから、それではもう感動しないわけですよ。泣き出す!という感情の爆発が唐突に画面上に出現することが観客の心を揺さ振るわけだし、その感情の爆発の発生の瞬間そのものが「美しい」わけですから。

 

そこで編集の出番です。最初の『ツイン・ピークス』時は1990年、映画がMTV的な編集が流行ったりとか細かく細かく編集するのが流行った90年代です。華麗なる編集作業で人物の感情の流れを妨げることなく様々なテイクやカットを繋いで繋いで泣き出す寸前までの流れを作り、泣き出したら長尺に切り替えて、泣いてる人物の表情やシルエットを克明に描き出しました。美しかった。

 

ところが新しい『ツイン・ピークス』(シーズン3)は2017年。もう細かくモンタージュして感情の流れを編集で作り出す時代じゃありません。

当然のごとくシーンの頭から、泣き出して、泣き続けるところまでを1カットで撮影する、しかも編集用のアップのカットとかをなるべく撮らない、という方法で今回の『ツイン・ピークス』は撮影されました。(メイキングで編集用のアップのカットを撮影しては?と提案したスタッフをリンチ監督が怒鳴りつけるくだりがあります。4文字言葉入りでw)・・・これは俳優たち大変です。

 

 

新『ツイン・ピークス』(シーズン3)で印象的に泣いたのはまず校長で容疑者のビル・へースティングス。取り調べ室で鼻水まで垂らして迫真の演技を見せましたが・・・泣き出しの瞬間はありませんでした。どのシーンもシーンの最初から追いつめられた表情で、すでに泣き出しそう。たぶんすごい入念な役づくりをしてから現場入りしたんでしょう。

で、いったん泣き出すともう泣きっぱなしで、セリフ的には話題がどんどん変わって言っても泣きの芝居のテンションは変わらず、起伏も無く・・・。

おそらく内面で芝居をする俳優さんなんでしょうね。ひとり芝居になってしまって相手役のタミ―とのコミュニケーションも希薄で、「美しい感情の変化」をカメラに見せることなく、彼ひとり気持ちよく迫真の演技をして終わりました。。

 

新『ツイン・ピークス』(シーズン3)で印象的に泣いた人物その2は、警察官になったボビー。会議室に並べられたローラ・パーマー事件の証拠品を部屋に入ってきて不意に見て、泣き崩れるシーンがありました。これは美しい泣きシーン確定!かと思いきや・・・彼も会議室に入って来たときにはもうすでに深刻な顔。

なのでローラの写真を発見してハッとする表情の変化がひじょうに小さく、そして・・・なんといきなり泣き始めてしまったんです!・・・いや、待って。この状況が理解できない&ローラとの思い出がフラッシュバックしてしまう過程が完全に省かれてしまっている。

なぜ省かれてしまったのか・・・それはその過程は彼にとって、この撮影の前のリハーサルで済んでしまっているからです。もしくはその前の楽屋で気持ちを作っている時間に。「美しい感情の変化」が発動する瞬間がすべてカメラの廻ってない時間に起きてしまっている!!!

ああ、昔のボビーみたいにへらへらっと会議室に入って来て欲しかった。で写真を見て、状況が理解できなくてホークや保安官の顔を見たりして、でもう一度写真を見て、ぶわっと唐突に感情が溢れ出て泣き出す・・・みたいな。ボビーのそういうシーンが見たかったなあ!

 

まず「シーンの頭は泣いてない」そして「泣く理由をしっかり受け止める」時間があって、「ぶわっと泣き出す、感情の爆発の瞬間」に至る。これが旧『ツイン・ピークス』の泣くシーンが美しかった理由だったんです。

 

 

 

この「数秒後、数分後に自分がどうなるのか、さっぱりわかっていない」という演技ってやはり好きなんです。今回の『ツイン・ピークス』(シーズン3)でいえばダギー・ジョーンズの演技がまさにソレですよね。

 

シーン頭・カット頭でダギーはだいたいボーっとしていて何の感情も無いんですが(笑)、周囲を観察していて何らかの気持ちの流れがあるのは観客には伝わってくる。で、何かを発見して、それを観察して、で感情が動いて表情が生まれる。「感情を軸にするのではなく、外界とのコミュニケーションを軸にして演じ」ているわけですが、シーン頭・カット頭には強い感情は必要ないんですよ。そこを強い感情で埋めるから外界が観察できなくなる。

ダギーがあんなにもスローモーに演じていても観客はまったく飽きずに彼から目が離せなくなっていたのは、彼の目や表情に細かな、微細な感情の揺れや欲望が見えるからなんです。あ、これから何かが始まるぞ!と思って観客はダギーに夢中になるんです。

ダギーが何かに心を動かされている姿は、どれも美しかった。。。

 

 

ダギーの他には、デヴィッド・リンチ監督演じるゴードン・コールが美しかったですね。次に何をするか、何を言うか、まったく先が読めなかった。

そう20世紀のキャラクター表現は「キャラがハッキリしていて先が読める」ことが素晴しかったけれど、21世紀のキャラクター表現は「キャラがハッキリしていて先が読めない」ことが素晴しいのかも。

 

そしてその向こうに「人間の美しさ」みたいなものを我々は感じるのかもしれませんね。

 

小林でび <でびノート☆彡>

 

 

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