Philosophy of Development ~第9章 ユーラシアの内陸諸国をめぐって | 由川 稔のブログ

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モンゴル、ロシア、カザフスタン等と付き合って、早30年以上経ちました。軽い付き合いも重い付き合いもありました。いったい何をして来たのか…という思いもあります。「近代化」、「自由化」、「開発」、「資源」等をめぐる国際的な問題について、考えています。由川稔

「近代化」や「自由化」、国際的な「開発」の問題や「資源」の問題に関する箴言の備忘録

 

9章 ユーラシアの内陸諸国をめぐって

 

1.21世紀のシルクロード

 

(2)関係各国の事情

 

a. モンゴル国

 

番外編 「イスラム国」(2)

 

2.「イスラム国」の標的

 

イスラム国の元々の敵は「近い敵」、つまり彼らが考えるところの「本来あるべきイスラム」から逸脱してしまった、シーア派等の他宗派であり、また、現実に存在する「イスラム国家」のようであり、その点で、欧米等の「遠い敵」を主たる標的としている「アルカイダ」とは方向性の違いを見せている。

スンナ派は、ムハンマドの死後、イスラム共同体が選ぶ後継者を最高指導者=カリフ(=スンナ派で「優れた指導者」を意味する「イマーム」の中でも最高の権威者)と仰ぐが、シーア派では、第四代カリフであったアリーを「初代イマーム」とし、彼の直系を正統後継者=代々のイマームとして、ムハンマドに準じるほどの権威を与える。このような訳で、シーア派はスンナ派の「カリフ」に対して否定的である。なお、シーア派内の諸派によって考え方の違いがあるものの、例えば十二イマーム派では、第12代イマームとされるムハンマド・ムンタザルが西暦874年に「ガイバ」(神によって人の世から隠された状態)に入って以降、そのマフディ(いわば救世主)としての再臨までは、(したがって今日も)イマーム不在の状況とされる。カリフに対して否定的で、イマームも不在となれば、規範や行動指針において、神学者の意見に依拠するところが大きくなる。

ちなみにスンナ派の「カリフ」制も、トルコ革命でオスマン帝国が崩壊した後、1924年に廃止されていた。アル・バグダディはこの称号を復活させ、人々の郷愁も誘う「カリフ制国家」の建国を宣言したのであった。スンナ派にはイマームが存在し、アル・バグダディもイマームとして活動していた時期があるらしく、「カリフに選ばれた」後に公の場に現われた時には、イマームの正装をしていたとのことである。[13]

 

次に、「現実のイスラム諸国家」(ここでは中東や北アフリカの、ムスリムを多数擁する国々)と、さらには欧米までもが、なぜ敵視されるのか。これにはいくつかの理由がある。

(一)この地域では、1916年に英仏露間で結ばれたサイクス・ピコ協定に見られるように、列強の駆け引きの中で国境線を引かれて出来た国が多い。そしてその支配層は列強と結託して独裁体制を敷き、腐敗した。たとえ国民がムスリムであっても、その国境と統治体制は欧米との癒着や協調の産物である、とイスラム国は考え、サイクス・ピコ協定の合意内容を否定し、イラクとシリアを一つのイスラム国家の枠に収めることを主張している[14]。またそのため、敵視の対象は、昨今の国際秩序を勝手に作ってしまった欧米(=遠い敵)にまで広がることになる。

(二)ロシアに支持されたシリアのアサド政権も、欧米に支持されたイラクのマリキ政権も、民衆を弾圧した。また、独裁的なイスラム諸国家の内いくつか(チュニジアやイエメンやエジプト等)では、「アラブの春」などと言われる「民主化」がドミノ的に起こった。しかしこの欧米流の民主化の中では、イスラム教諸団体が政治的に警戒され続けるだけでなく、経済危機を背景としてIMFの構造調整の受け入れを強いられたり、それに伴う民営化や資金配分が既得権勢力の腐敗を温存・助長したりし、実際、どこも抜本的な社会改良を果たせていない[15]。この状況に鑑み、イスラム国は次のように言う。「欧米を支配しているのは銀行だ。議会ではない。おまえたちは、それを知っているはずだ。自分が一つの駒にすぎないこと、臆病な歩兵にすぎないことに、おまえたちは気づいている。だから自分のこと、自分の仕事のこと、家族のことしか考えない…それ以外のことには何の力もないとわかっているからだ。しかし今、ジハードが始まった。イスラムの声を聞くがいい。イスラムは自由をもたらす。」[16]

「イスラム国」以前にいわゆる「国際テロ組織」として有名になった「アルカイダ」は、単純に「遠い敵」つまり欧米を主な敵として攻撃した。イスラム国の系譜をたどれば、アルカイダに学び、また連携していた時期もあったが、「現実に新しい国を作る」という意志を固める過程で、思想的にもアルカイダとは袂を分かったのであろう。

 

なお、イスラム国に大きな影響を及ぼしている思想に「サラフィー主義」がある。元々は、オスマン帝国の後進性を西欧との対比で直視し、信仰を原点回帰させて自己のアイデンティティーを覚醒させつつも、政治面では西欧に倣った近代的国民国家の樹立を目指したものであった。ところが、政治面で理念を提示し、イスラムもそれに範を取ろうとした西欧の側が、現実には植民地支配によってアラブを裏切る形になったため、アラブ側は欧米の近代性と国民国家の概念を拒絶した。ここに「サラフィー主義」は、植民地時代からの腐敗や癒着の穢れからの浄化を目指す思想に変容した。19世紀後半のことであった。[17]

このような経緯を経て、1950年代、エジプトの思想家サイイド・クトゥブが「タウヒード」の概念を再定義し、「神の唯一絶対性」を意味するこの言葉に、政治的意味付けを行った。即ち、「国民でも政党でも人間でもなく、神こそが力の源泉である」として、政治的イスラム主義と、その理想の表現である「カリフ制国家」の追求が提起された。したがって言うまでもなく「カリフ制国家」は、近代西欧的概念である民主主義や社会主義の政治体制ではない。そしてクトゥブは、この神の支配の原則に少しでも反することは「背教的行為」と断言し、「背教者宣告」は政治的武器と化した。[18]

アル・バグダディは、2003年にアル・ザルカウィに率いられてファルージャで結成された「タウヒードとジハード集団」に加わり、頭角を現していくことになるが、「タウヒード」という語がここにも見られる。なお、「タウヒードとジハード集団」は、2004年にビン・ラディンに忠誠を誓って「イラクのアルカイダ」と改称した。アル・ザルカウィもアル・バグダディも、「背教者宣告」をシーア派虐殺の正当化に使用した。[19]

 

 

3.私たちを映す鏡としての「テロ問題」

 

中田考は、論考「価値観を共有しない敵との対話は可能か」の中で、いわゆる「テロ」が「政治問題」なのか「治安問題」なのかという点に関連し、大要、次のように指摘する。[20]

「欧米では、既成の秩序・国家に対する武装闘争を「テロ=治安問題」と見、犯罪と捉え、交渉や議論の可能性をあらかじめ排除する傾向にある。つまり「テロリスト」とされた者については、その主張の是非について議論すること自体が禁じられる。

これに対してイスラム法では、合法政権(カリフ)に対する反乱=武装闘争においてさえ、その正当性を一概には否定しない。つまりそれは「政治問題=政権と反徒という二つの暴力装置の間の権力闘争」である可能性を否定せず、議論と交渉の対象にするのである。

イスラムにおいてこの認識が可能になるのは、その権力の支配の合法性の基準が、西欧の法のように地上の権力、国家が制定した法の内部、国家システムの内部にあるのではなく、地上の権力を超えた天啓の聖法シャリーアの遵守にあるからである。つまり「国家」の正当性を判定する基準が、「国家の外部」にあるからである。

西欧に生まれた国際法が、国際法の正当性/合法性(legitimacy)を承認した法的主体全員を拘束するのに対し、イスラム国際法はイスラム教徒のみを拘束し、異教徒は、イスラム国際法の正当性/合法性(legitimacy)の承認を求められることはない。

イスラムは、イスラムと他の宗教やイデオロギーとが、共約不能であり、決して一つにはなれないということを、当然の前提とする。他の宗教、イデオロギーを信奉する他者は、価値観を共有しない敵である。しかしイスラムは、価値観を共有しない敵と、対話も交渉も共存もできないとは決して考えない。

一般に現代の権力は、政治的争点の範囲そのものを管理している。私たちが「テロ」という言葉を無条件に承認してしまうと、その背景にあるかもしれない搾取、抑圧、不平等、権力関係の存在を争点化すること自体が妨げられる。

イスラム国とテロとが直結されることで隠蔽されるものは何か。それは、①イスラム国の掲げる理想像(実態ではない)としてのイスラム共同体が、私たちが殲滅ではなく共存を目指すべき対象であること、②その理想像を敵視する現実のイスラム諸国家が、イスラムに反するのみならず、西欧的な民主主義や人権や自由にも反する不正で腐敗した独裁国家であること、③それらの国を支持することで、欧米側もまた自らの理想を裏切っていること、である。」

 

私たちの周りには、意識して情報を取り、深く考え、判断しなければならない事柄がたくさんある。私たちが民主主義国家の主権者であろうとするなら、当然それに伴う責任も引き受けなければならない。既に多くの方達が指摘してきている通り、民主主義を否定する「テロ」との戦い=「テロとの戦い」、あるいは「テロには屈しない」という言葉が、私たち自身の民主主義を壊し、腐らせてしまっては、本末転倒である。

理性的に考えれば、民主政下では善政も悪政も主権者の自己責任として得失いずれも分かち合うべきである。だが現実は、都合の良い棚上げと摘み食い、下手に矜持に殉じようものなら死人に口なし、勝てば官軍負ければ賊――かと思いきや、実は自分も被害者でしたと君子(?)豹変…そのような例も多々ある。

欧米および欧米流の俗物市民に対するイスラム国の批判(前掲の「欧米を支配しているのは銀行だ。議会ではない。」云々)に堂々と反論するには、そして民主主義の価値を擁護しようとするなら、私たち自身が主権者の権利と義務を果たさなければならない。しかし例えば私たちは、1955年の国会法第5次改正で、国会における自由討議の規定を削除するなどしてきてしまっているし[21]、最近では、沖縄の翁長知事側と安倍内閣側との関係において、真剣な政治問題として建設的な議論の積み上げができるのかも危ぶまれるような状況で、最終的に経済問題の次元で解消するための駆け引きではとの見方も現時点では残っている。また、私たちの資本主義経済空間を支える貨幣の存在に至っては、遥か昔から「信用創造」の原理により、銀行が支配して民主主義制度の枠外に置かれ、しかも私たちはそれに対する全面的依存に違和感すら湧かないほど馴化されている。[22]

米国国務省のwebsiteでは、20149月以来、有志国一覧表が掲げられ、JAPANも名を連ねている。[23]

イスラム国の凶刃に倒れる人たちが、邦人も含めて増え続けていることは、痛恨の極みである。

他方、例えばイラク戦争において、米国を中心とする有志連合軍の攻撃を受けたイラク側の犠牲者数は、各調査における基準の違いはあるが十数万~数十万人規模と報告される。また有志連合軍においても、米英軍だけで5000人近い死者が出ている模様である。[24]

数を比べることの虚しさを踏まえた上でのことながら、殺られた側の状況を考えれば、たとえアル・バグダディが死亡しても、その理論と遺志を、第2第3のアル・バグダディが継いでいかないという保証はない。サラフィー主義の影響を受けつつも、更にその排他性を先鋭化させていると見られるイスラム国が、イスラム世界内で今後どれほどの支持を得られるかはわからないが、行動原理が開示された以上、アル・バグダディの後継者が現れる場所が中東に限定されるとも言えない。決して容易いことではないが、いわゆる「テロ」なる言葉が纏うイデオロギー性を客観的に捉え直し、排他性という同じ次元に乗らずに現実的な解決を図ることが可能なのか、考えたい。

「彼を知り己を知れば百戦して殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」(孫子・謀攻篇)とのこと。

       (文中敬称略)

 

(脚注は、番外編 「イスラム国」(3)にて)