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悠々、のんびり

日々の出来事を気の向くままに綴ります

近くには寿司店が多い。

 

休日には利用するが、兎に角客が多い。

 

待ち時間も1時間もかかる。

 

しかし、いつも行くのは夕食時だ。

 

そこで平日の昼、行ってみた。

 

なんと、待たないといけない。

 

折角だから少し待って昼のランチ寿司を食べた。

 

 

 

最近は、システム化が進んで、注文や頼んだ寿司を席にはこんだり、機械が行う。

 

今日は、ランチ定食だが、特上だ。

 

”特上にぎり”を注文。

 

寿司は北陸だ。

 

東京で食べるのは、まずいかとても高いかどちらかだ。

 

贅沢なランチを食べた。

 

どちらかと言うと巻物が好きなので、「うに」「いくら」「カニみそ」などあれば満足である。

 

休日とは違い、サラリーマンの団体やお年寄りが多い。

 

休日は子供連れが多い。

 

よく繁盛していると感心した。

 

 

オスプレイが不時着に失敗(本当は墜落)。

 

1機無駄にした。

 

オスプレイは17機、3600億円もするらしい。

 

そしてその3600億円は社会保障費の削減額に等しい。

 

しかもオスプレイの米軍価格ははるかに安い。

 

いくらアメリカの言いなりでも、いくら日本の交渉力が無くてもバカバカしい。

 

国民の税金を使う人はもっと利口に使ってもらいたい。

 

何かあると表に出てくる”都合の悪い真実”。

 

もっとましな政治家を。

最近の事件や出来事。

 

マスコミの伝え方。

 

違和感あり。

 

まず、某俳優がコカイン、と言うニュースがあったと思ったらすぐ引退してしまった。

 

ニュースはこの話題でもちきりだ。

 

真実が分からないから、あーだこーだと無責任に伝える。

 

全く興味はないが、こんなことだからさっさと引退したのかも知れない。

 

芸能人が結婚した、事件を起こした、一所懸命マスコミは伝える。

 

そんなことどうでもいい。

 

 

 

逆なケースも。

 

今、TPPとか年金とかIRとか、非常に重要な法案が強行採決だ。

 

余程重要問題なのだが。

 

絶対多数の与党が決めるのだから仕方がないと言うことで済まされそうだ、

 

チョット待て。

 

本当に与党はそんな法案に賛成しているのか、

 

イヤ、実際は与党の議員といえども多数はその法案には反対しているのだ。

 

それを無理矢理通そうとしているのだ。

 

こっちを問題にして世論を起こすべきだ、

 

 

マスコミは業務怠慢である。

 

羽生弓弦がGPファイナルで4連覇達成。

 

いつ聞いても羽生のインタビューは素晴らしい。

 

心からのファンへの感謝、観衆へのお礼。

 

オリンピックでも応援してくれる人への感謝は皆が言う。

 

しかし、羽生ほど心からの感謝の心が伝わる選手はいない。

 

何より立派なのは、出身地の震災被害に対する気持ちだ。

 

わざとらしさが全くなく実に素直ダ。

 

他の一流選手と比べて傑出している。

 

例えばイチローはどうだ。

 

選手としてはスゴイが記憶に残るインタビューもない。

 

本田はどうだ。

 

選手として超一流ではないし、確かに自分を売り込むのはうまい。

 

確かに長島の「わが巨人軍は永久に不滅です」

 

とか

 

有森の「自分で自分をほめたい」

 

など一言が記憶に残る選手はいる。

 

羽生の場合はインタビューでの受け答えが素晴らしく記憶に残る。

 

こんな選手はいない。

 

 

 

「囲碁」と「将棋」がある。

 

どっちもする人もいるし、囲碁だけ、将棋だけ、あるいは両方しないという人もいる。

 

私は「囲碁」だけしかしないが、「将棋」と違うと感じることがある。

 

AIソフトへの対し方ダ。

 

「将棋」は先に強くなりプロを超えるまでになった。

 

その時、「将棋」界は悲壮感さえあった。

 

選抜されてAIとの対局に臨んだ棋士は負けられない気持ちが強すぎた。

 

 

 

そして今、「囲碁」で同じことが起こっている。

 

「将棋」と違うのは、楽しんでいることだろう。

 

趙治勲が1局負けた時も「ロボットと打っている気はしなかった。AIが強くなれば人間も勉強して強くなればいい」と、非常に好意的だ。

 

 

 

江戸時代には「碁将棋所」と言って並んで称された。

 

そんなにやっている人間が違うのだろうか。

 

囲碁将棋に限らず、AIへの対応は囲碁のように切磋琢磨することだろう。

 

 

 

AIには向いていないが、例えば「フレンチ」と「和食」だとどうだろうか。

 

お互いに独自の発展をしてきた。

 

全く違う「食事」の世界がそれぞれ支持されている。

 

 

 

このように双璧の世界はそれぞれが発展すればいい。

 

「書」と「絵画」も比べようがない。

 

人類の知恵は大したものだ。