「囲碁」と「将棋」がある。
どっちもする人もいるし、囲碁だけ、将棋だけ、あるいは両方しないという人もいる。
私は「囲碁」だけしかしないが、「将棋」と違うと感じることがある。
AIソフトへの対し方ダ。
「将棋」は先に強くなりプロを超えるまでになった。
その時、「将棋」界は悲壮感さえあった。
選抜されてAIとの対局に臨んだ棋士は負けられない気持ちが強すぎた。
そして今、「囲碁」で同じことが起こっている。
「将棋」と違うのは、楽しんでいることだろう。
趙治勲が1局負けた時も「ロボットと打っている気はしなかった。AIが強くなれば人間も勉強して強くなればいい」と、非常に好意的だ。
江戸時代には「碁将棋所」と言って並んで称された。
そんなにやっている人間が違うのだろうか。
囲碁将棋に限らず、AIへの対応は囲碁のように切磋琢磨することだろう。
AIには向いていないが、例えば「フレンチ」と「和食」だとどうだろうか。
お互いに独自の発展をしてきた。
全く違う「食事」の世界がそれぞれ支持されている。
このように双璧の世界はそれぞれが発展すればいい。
「書」と「絵画」も比べようがない。
人類の知恵は大したものだ。