毒親から解放され、自由になって、理解し合い通じ合えるようになった道のり。 その1 | この星に光を分かち合いに来た仲間たちへ

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ここでは、
ヒーリングと瞑想を提供することで、
本来の自己に目覚め、
本当に望む人生を創造する事を
サポートしています。

 
 
この星に愛を分かち合いに来た仲間たちへ
 
 

こんにちは

Ambho(アンボー)です
 
 
今回
2年ぶりに
長崎の実家に戻って以来
 
母親と
理解し合い通じ合えるようになり
先祖代々続く愛と命の流れに繋がって
 
この星で生きる事が
こんなにも楽で楽しく
自由になった
という事を書いてきました
 
 
 
 
 
でも
昨日瞑想してる時
 
最近このブログに出会い
 
3年前の11月
毒親との事を癒し切り
実家で両親と一緒に暮らしていても
自由で楽しく豊かになる前のことを
知らない人には
 
何が言いたいのか全然わからない
 
という事に
氣づきました
 
 
 
 
 
そこで
 
私の人生が
幼いころからどんなに大変で
 
そこから
どのようにして超えてきたのか
 
そして
どのようにして
理解し合い通じ合えるようになったのか
 
 
その道のりを
記事に纏めてみようと
感じました
 
 
 
 
 
それにより
毒親との事で悩んでる人が
希望を見出し
 
自由への道を歩きはじめ
道を進み続ける参考になれば幸いです
 
 
 
 
 

幼い頃の記憶が無いのは、毒親育ちの可能性大

 

まず最初に
述べておきたいことは
 
幼い頃の記憶が無いのは
毒親育ちの可能性大
という事です
 
 
 
 
 
なぜなら
人は
苦しいと
苦しさを感じないように
抑え込んで感じないようにします
 
 
そして
記憶すらも
苦しさを浮かび上がらせるので
潜在意識の中に仕舞い込んで
忘れようとします
 
 
だから
幼い頃の記憶が無いのは
毒親育ちの可能性大です
 
 
 
 
 
さらに
毒親育ちの人は
消えてなくなりたい
無意識に思っています
 
 
それは
親に否定され拒絶された
結果
 
自分でも
自分を否定し拒絶してしまった
結果です
 
 
 
 
 
逆に
両親に
そのままの自分を
認められ受け入れられ
すくすくと育った人は
 
幼いころの記憶を
封印する必要が無いので
よく覚えています
 
 
 
 
 
そして
私も
幼い頃の記憶が全くなく
物心ついてからもほとんどなく
 
いつも
こんな自分なんかダメだ
消えてなくなりたい
思っていました
 
 
 
 
 
そして
これから書く
幼少期の頃や
小学校低学年の頃の事は
憶えていた訳ではありません
 
 
 
 
 
2009年7月
サトルボディヒーリングの
トレーニングに入り
 
感情をカキ乱されたり
刺激されることが起こる度
 
自分の中で反応している
傷や感情や信じ込みを癒すことを
数年続ける内に
 
どんどん遡っていき
思い出したことです
 
 
 
 
 

幼少期

 

私は

幼いころから

大人びた大人しい子でした

 

子供たちと遊んでるよりも

大人たちの側で

静かにしてる方が好きでした

 

 

 

 

 

そんな自分ですが

父親の癇に障ることがあると

 

長時間

押し入れに閉じ込められ

 
母親も誰も
助けてくれませんでした
 
 
何か悪いことをして怒られるなら
悪いことをしないようにすればいいだけですが
 
癇に障っただけで怒られるので
何で怒られるのか見当もつかず
いつも怯えていました
 
 
 
 
 

小学校低学年

 

 

小学校低学年になると

鉄筋コンクリート造りの

自衛隊の官舎に引っ越しました

 

今居る実家のすぐ近所に

まだその建物はあります

 

 

そこでは

父親の癇に障ると

玄関の分厚い鉄の扉の外の

コンクリートの階段に

長時間

締め出されるようになりました

 

 

それも

靴も履かず

下着のままで

 

 

そして

母親も助けてくれませんでした

 

 

 

 

 

そんな格好なので

どこにも行くことができず

 

両親ですらそんな風なので

他に助けを求めることができる人も誰もおらず

冷たい階段に

ただうずくまるしかありませんでした

 

 

 

 

 

サトルボディヒーリングの

トレーニングに入って

7年ほど癒し続けて

やっと出てきたのが

この事でした

 

 

その時

 

この世の中に自分の居場所はない

誰も助けてくれない

 

無意識に信じ込んでおり

 

それを

ずっと現実化し続けていたので

こんなにも大変な人生だったのだ

 

理解が起こりました

 

 
 
 
 

小学校高低学年

 

小学校高学年になると
父親の癇に障ると
何時間も正座させられ
 
 
してはいけない事
しなくてはならない事を
何項目も書いたものを
暗記して読まされたり
 
 
俺は学校から帰ってきて
家で勉強していたら
 
「何で勉強なんかしてるんだ!」
「畑に来んか!」
怒られたんだぞ
 
 
と言うような
30分程の
訳の分からない説教が
 
壊れたテープレコーダーのように
何度も繰り返し
聞かせれるのでした
 
 
 
 
 
正直
学校でも
先生に怒られうような事はしない
大人びた優等生で
 
立候補もしてないのに
推薦で名前を出され
多くの人に投票され
したくもない学級委員を
毎年やらされるほどでした
 
 
なので
家でも
怒られるようなことは
してなかったし
 
説教されても意味が分からず
何で怒られてるのか
わからず
 
ただただ
 
お前はダメだ
俺が食わしてやってるんだから
俺の言うとおりにしろ
 
否定され拒絶される日々でした
 
 
 
 
 

中学

 

 

小学校6年の時

近所の友達の家に

サイクル野郎と言う

コミックがあり

それにすっかりはまり

自転車で旅をしたくなりました

 

 

そして

中学1年の時

新聞配達をして

キャンピング自転車を買いました

 

 

 

 

 

そして

中学2年の時

少林寺拳法を始めました

 

始めた理由は

幼いころから自分の中に

 

力の無い正義は正義ではない

正義の無い力は暴力だ

と言う思いが強くあり

 

同級生に

自分が間違ってないのに

力でねじ伏せられたことが

悔しくて堪らず

情けなかったからでした

 

 

 

 

 

週に2回ほど

道場に稽古に行き

 

毎朝早起きして

庭で

突き蹴りの練習をしたり

型の練習をして

 

さらに

腕立てや腹筋など

筋トレなんかもしてました

 

 

 

 

 

道場では

 

両手で抱えることができない位

大きなサンドバッグを

突いたり(パンチ)

蹴ったり

 

胴を付けて

組み手をしたりしてました

 

すると

自分の破壊力を知り

 

防具を付けてない人を

殴ったり蹴ったりすると怪我をさせてしまう

怖くなりました

 

 

 

 

 

そして

家では

父親は

相変わらず自分の考えを押し付け続け

俺が食わしてやってるんだから

俺の言うとおりにしろと

 

訳のわからない説教を

何度も何度も繰り返し言うので

 

殴ってやりたい怒りを

抑えるのが大変でした

 

 

 

 

 

15歳の時、上京を決意

 
父親は
自衛官だったので
中学3年生の時
 
力試しに
陸上自衛隊少年工科学校という
自衛隊の中の高校の受験を
勧められました
 
防衛大学の高校版
のようなものです
 
 
 
 
私は
地元の普通高校も受験し
合格していたのですが
 
このままここに居たら
俺が潰されるか
父親を殺してしまうか
どちらかだ
 
どちらも不幸だ
 
でも
自衛隊に入って
給料をもらえば
俺は自由だ
 
そんな思いで
上京し
自衛隊に入隊しました
 
 
父親から離れたら
自由になれる
そう思っていました
 
 
 
 
 

父親から離れても、自由にはなれなかった

 
上京し、自衛隊に入隊すると
父親は居なくなったのですが
 
その代わり
区隊長や助教
さらには
2年生や3年生に
厳しく監視され
全然自由にはなれず
返って苦しい日々でした
 
 
その時
嫌な事から逃げると
余計に苦しくなる
という
この世のカラクリを
思い出しました
 
 
 
 
 

恐怖に負け、夢破れる

 

 

私は

幼いころから大変で

 

唯一

戦闘機乗りになる夢が

支えでした

 

 

そして

18歳

高校3年の時

戦闘機乗りになるための学校

航空自衛隊航空学生の試験を受けました

 

 

1次試験は

学科と適性試験

 

適性試験は

連続写真を観て

空の上での立体的な感覚を

テストするものでした

 

私は

どういう訳か

立体的な感覚がとても簡単で

天才かもと思いました

 

 

 

 

2次試験は

健康診断と適性試験

 

自衛隊で鍛えられていたので

健康診断は問題なし

 

適性試験も

さらに難しい内容でしたが

立体的な感覚が

手に取るようにわかり

楽勝でした

 

 

 

 

3次試験は

航空自衛隊防府基地まで行き

 

実際に

プロペラの練習機に搭乗して

行われました

 

 

前席に自分が搭乗し

後席には教官が搭乗

 

離陸して

上昇し

安定飛行に入ったら

 

 

 

教官が

水平飛行を観せてくれます

 

そして

自分でも水平飛行

 

簡単でした

 

 

 

 

 

次に

 

教官が

水平飛行から上昇して

高度○○フィートに達したら

水平飛行

見本を観せてくれます

 

自分でも

計器を観ながら

水平飛行から上昇して

高度○○フィートに達したら

水平飛行

楽勝でした

 

 

 

 

次に

 

教官が

水平飛行から旋回して

何時の方向に向いたら

再び水平飛行

見本を観せてくれます

 

 

そして

 

自分でも

水平飛行から旋回して

何時の方向に向いたら

再び水平飛行

楽勝でした

 

 

正直

俺って天才かもと

思いました

 

 

 

 

 

次に

 

教官が

水平飛行から急旋回して

何時の方向に向いたら

再び水平飛行

見本を観せてくれます

 

 

 

自分でも

水平飛行から急旋回した瞬間

 

目の前が海になり

(機首が真下を向いてしまい)

 

その瞬間

意識が飛びました

 

氣がついたら

普通に飛んでいたので

 

後席の教官が

仕方ないなと

立て直してくれたのでしょう

 

 

 

 

 

翌日と翌々日も

全く同じ試験がありました

 

しかし

両日とも

急旋回だけは意識が飛び記憶が無く

 

戦闘機乗りになる夢は

敗れてしまいました

 

 

 

それまでの人生で

叶わないものは無いと

思っていたので

とても苦しい挫折でした

 

しかも

恐怖に負けたなんて

情けなくて堪りませんでした

 

 

 

 

 

翌年

トムクルーズ主演の

トップガンが公開されました

 

正に

自分の夢だったので

悔しくて観に行けませんでした

 

 

 

 

 

恐怖を克服するために始めたウェイトトレーニングが、精神世界の探究の始まり

 
 
夢破れて
失意の日々を
過ごして居ました
 
 
19歳で
少年工科学校を卒業した後
 
千葉の高射学校で
レーダー修理の教官として
勤務していました
 
 
 
20歳の頃
近くにスポーツクラブができると
聞きました
 
その時
体を鍛えたら恐怖を克服できると思い
GYMでウェイトトレーニングを
始めました
 
 
インストラクターに
トレーニングの仕方や
メニューの組み方を
教わりながら
週3回ほど
通っていました
 
 
 
 
その内
マッスル&フィットネス
と言う月刊誌で
 
トレーニングの仕方や
メニューの組み方を勉強するといいと
薦められました
 
 
 
 
その雑誌の中に
メンタル的なことを書いたページがあり
思えば叶うというような事が
書いてありました
 
 
思えば叶う
その事に興味を感じ
 
 
実際に
トレーニングを続けることで
筋肉も増え
タンクトップと短パンが
似合うようになり
 
 
これが
精神世界の探究を始める
切っ掛けとなりました
 
 
 
 
 

思えば叶う、イメージトレーニングに失望

 
 
思えば叶うに
興味を持ってる時
 
ある人に
1冊の本を薦められました
 
それを読んで
すっかりその氣になった自分は
 
表参道にあった
創考?
と言う会社の体験会に参加して
 
100万円の教材と講座に
申し込んでしまったのでした
 
 
そして
セミナーに通いながら
自宅学習キットにも
取り組んでいました
 
 
 
 
 
しかし
程なくして
思う方向に進もうと
すればするほど
 
それを妨げる重荷があることを
自覚してしまい
 
思えば叶うという
イメージトレーニングに
失望してしまったのでした
 
 
 
 

イメージトレーニングから、癒しへ

 
そんな時
その会社から独立した人が
 
その会社で
アバンダンスセミナー
(豊かさ)
と言うものを開催する
 
と言う情報を得て
参加しました
 
 
 
それが
その後
霊氣で有名になる
望月敏孝氏との出会いでした
 
 
それが切っ掛けで
彼が初めて招待した
チャック・スペザーノ氏の弟子の
クリストファー・ムーン氏の
ワークショップに参加したのでした
 
 
それが
癒しの道の始まりでした
 
 
 
 
 

忘れていたトラウマや、傷ついた過去を、思い出させてくれるものはあっても、癒されることはなく、探究すればするほど苦しさが募る日々

 

 

クリストファー・ムーン氏の
ワークショップ
 
生き辛さの原因である
過去のトラウマや
傷ついたり
辛かったことを思い出すものでした
 
 
それは
主に
両親との事でした
 
 
憶えていると苦しくて堪らないから
 
潜在意識に押し込み
忘れていた
トラウマや
傷ついたり
辛かったことを思い出しても
 
それが癒されることはなく
 
 
忘れていたこの傷
この感情
どうしたらいいの?
 
となる状態で
 
 
両親への恨みが募り
生き辛さが募るばかりでした
 
 
 
 
そして
 
 
 
 
2回目の来日時も参加しましたが
結果は同じでした

 

 

 

 

その後

呼吸を使って過去のトラウマを解放する

ブレスワークに

参加し続けたり

 

 

 

ネイティブアメリカンの儀式

スウェットロッジに

ファイヤーマンをやりながら

参加したり

 

 

ライトボディの覚醒化

という

瞑想コースに参加したり

しても

 

全然楽にならず

 

 

 

 

さらには

OSHO関係のボディワークを受けたり

 

瞑想会に参加したり

 

タントラライフ


 

経験しても

全然癒されることなく

楽にならないのでした

 

 

文字数がオーバーして

保存ができなくなったので

次の記事につづきます

 

毒親から解放され、自由になって、理解し合い通じ合えるようになった道のり。その2

 

 
 
 
 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます

 

 

現実は

訳もなく起こっている

のではありません

 

 

現実は

あなたの中の感情のエネルギーが

外に映し出された

映画のようなものです

 

 

 

悩みや苦しみや問題を

無くそうとしても無くなりません

 

原因である

あなたの中の感情を癒したら 

 

現実も

簡単に変わります

 

 

それは

映写機の中のフィルムが変われば

スクリーンに映し出された映像も変わるくらい

シンプルで簡単なことです

 

 

 

あなたも過去の傷や感情を癒して

愛に満たされて幸せな

本来の自分に戻りませんか?

 

 

いつも応援しています

 

愛と感謝と共に

 

 

Deva Ambho
 

 

 

 
 
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偶数月に東京に行きます

首都圏にお住いの方に

お会いできるのを

楽しみにしております

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みなさんの

ご質問をお待ちしております

ご質問は

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devaambho@hotmail.com


 

 

 

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