今朝、瞑想しようと座った瞬間、
「ナイ トイベント」
と声がする。
すっかり忘れていた。
手帳を入れ換える際、
書き移すのを忘れていた。
そう、ハートの直感的知性は、
何の脈絡もなく、
必要な瞬間に、
必要なことを、
唐突にささやく。
そして、
スケジュールを確認すると、
ちゃんと空いていた。
予約のメールを入れて、
瞑想。
ちゃんと席も空いていた。
そして、ナイトイベント。
1つ目の瞑想で、
この数日、
I am からずれていた
ことがわかった。
この数日、
アジズの本を参考に瞑想していたけど、
その影響で、舟を漕ぎ続けるところに戻ってしまっていた。
漕いでいるときと、
辿り着いてからでは、
違う。
漕いでいるときは、
エネルギッシュでハッキリしていて、
上手くイッテる感があっていいんだけど。
それをやると、
また漕ぎ続けるところに戻ってしまう。
漕ぎ続けるということは、
主体ではなく対象に戻っている。
それを体感として
理解することができた。
たぶんこれは、
他の人をガイドする時にも
助けになるだろう。
そして、
瞑想の男性性と女性性の融合についても、体感としてハッキリと掴めた。
ただ起こっているのと、
ハッキリと理解するのとは、
全く違う。
ハッキリと掴んで理解すると戻らない。
こういうところは、
1つ1つ、体験を通して理解するしかない。
それが起こっていても、
ハッキリと理解していないと
後にズレル。
そうなったら、
ハッキリと感覚を掴んで、
ハッキリと理解するチャンス。
そうやって、深まっていく。
そもそも、アジズの本は、
1999年~2000年にかけての内容だから、
今となっては、バージョンが古いのかもしれない。
そう言えば、
「Ambho.をサニヤシンにしたのは俺だ。」
と豪語している人がいるそうだ。
が、それは勘違いだ。
そんな人は誰もいない。
OSHOの世界に入ってから、
テイクサニヤス迄の数年、
いろんなところで瞑想し、
いろんな人に出会ったけど、
日本だけでなくアシュラムでも、
いろんなグループリーダーにも会ったけど、
そんなインパクトを与えてくれる人は一人もいなかった。
唯一、アシュラムのブッダホールだけだった。
そこに残っていたOSHOの臨在。
そして、その中での体験が、
サニヤスへと導いてくれた。


