ほとんどの人間がマインドに何のセンターも持っていないということに、氣づく必要がある。
それは、内側に誰もいないということだ。
そこには、マインドだけがある。
この状況は非常に深刻だ。
そこには、ただ、ここで君臨する無意識だけがある。
この無意識の饗宴を打ち破るためには、この無知のクレイジーなダンスを止めるためには、あなたはマインドのセンターを目覚めさせなければならない。
禅において、それは、マインドの主人と呼ばれている。
あなたの主人は誰か?
思考は来ては去っていくが、誰が残る?
穏やかに、あなたのマインドに沸き起こっている思考に氣づいて。
そこには、思考に氣づいている人の感覚がある。
それ自体が、沸き起こる思考より深いのだ。
マインドを観ることは、目覚めるための準備に過ぎない。
観る人が自分に氣づくとき、目覚めは起こる。
それは、観察している意識が、それ自身に向きを戻し、それ自身の主体を認識するということだ。
それは、アートマン、私、本当の私だ。
あなたがマインドを観察していくと、その観察している人が敏感になっていく。
マインドを観察しているのは、誰か?
それは、あなただ。
