ただ生きている、それだけで満たされて幸せ。
これはとっても氣持ちいいものです。
いつの頃からか続いている、
あの全身がひとつの細胞になったかのような氣持ちよさに、
尽きることのない温泉が加わったような感じです。
さらさらでぴったりの温度のお湯に満たされてるような感じです。
自分の中に在るもので満たされていると、外に何も求める必要がない。
すると、既に与えられているいろんな豊かさに氣づけます。
その豊かさに感謝していると、さらなる豊かさが与えられます。
引き寄せようとか思う必要もない。
逆に分かち合いたくなります。
すると、さらに与えられます。
不思議なものです。
ハートに繋がるとか、愛に繋がることでも満たされていましたが、何もしなくとも満たされて幸せなのは次元が違う感じです。
より本来の自己へと近づいた感じがします。
この在り方である時、以前だったら問題だと感じていたようなことも、問題でなくなります。
先日、あるお店でお茶したあと、お金を払おうとしたら一万円札しかありませんでした。
すると、
「お釣りが細かくなってもいいですか?」
と訊かれました。
どういう意味ですか?
と訊き返すと、
「千円札と100円玉が34枚になります。」
と言われました。
お店でもやっているなら反って嬉しいでしょうが、そうでないので、そんなにたくさんの硬貨をもらっても財布にすら入りそうにないし、使い終わるのにいつになるかと氣が遠くなります。
なので、どうしたものかと思いながら、思考は、「こういう時は、両替してくるんじゃないのかな?」と考えているのを見ていました。
すると、
「もしかしたら、自分の財布にあるかもしれません。」
とのこと。
そして、千円札一枚が出てきて、お釣りの100円玉は、24枚になりました。
それでも、財布に入らないし、受けとりたくないよな。とそのままでいました。
が、全く反応がない。
そこで、「では、セブンイレブンに行って崩してきます。」と言って店を出ました。
駅前のセブンイレブンまでは徒歩3分。
その間、特に何も考えることなくただ歩くのを楽しんでいました。
以前だったら自分で行くと言いながらも、「こういう時は、普通両替に行くだろう」とか考えて不機嫌になっていたはずです。
そういう体験はしたことないですけど。
そして、お店に戻り、お金を払うときも普通に払って駐車場へと向かいました。
思考は、「この店は駐車場もないから、お金を崩しに行っている間も駐車料金が掛かるんだけどな。」と言っていましたが、ただ眺めてそうだね、で終わり。
そうそう、財布の中の小銭は、460円でした。
なので、「460円にまけてくれないかな?」とか、「次回でいいですよ、と行ってくれないかな?」とか、思考が考えていましたね。
どれも外れて、今だ経験したことのない結果が起きる。
面白い体験でした。