現実というのは、自分自身のエネルギーによって作り出されています。
何かになろうとするよりも、
そうでない原因に気づいて、受け入れ、癒してあげた方が簡単です。
何かになろうとする時には、そうでない原因がそのまま残り、
外側に何かという偽の自己を作り出してしまいます。
それは、重荷を背負ったままどこかに向かおうとするようなものです。
多大なエネルギーを要し、遅々として進みません。
そして何より、本来の自己から離れて何かになってしまっては、本末転倒です。
何かになりたいと思うのは、無意識に本来の自己に戻ろうとする動きなのです。
そして同時に、今の自分は本来の自己から離れてしまっていると、無意識に感じているのです。
分かりやすい例を挙げるなら、武術を教える人がいい例です。
技が出来ないときに、
出来ない原因である無力感や無価値感や劣等感をそのままにして、
無力感や無価値や劣等感から頑張って努力して、
技ができるようになった人は、
教えるときに、
自分が如何にスゴいのか!
相手が如何にダメなのか!
をひけらかすために教える人になってしまいます。
反対に、技が出来ないときに、
出来ない原因である無力感や無価値感や劣等感を受け入れて、癒すことで、
本来の自己に近づき、技ができるようになった人は、
それが特別なものではなく、誰もが持っている本来のものだということに気づいており、
それを自然なものとして、相手がどうしたらその自然な本来の自己に近づけるのかを、惜しみ無く与えます。
しかし、
自分が如何にスゴいのか!
相手が如何にダメなのか!
をひけらかす人が、講師として人気が無いかというと、そうとは限りません。
類は友を呼ぶが示す通り、
世の中には、無力感や無価値や劣等感に蓋をして、
無力感や無価値や劣等感から頑張って努力して、
外側に偽りの自己を作り上げ、
技ができるようになりたい人も大勢います。
そんな人たちは、無力感や無価値や劣等感を感じさせられることを無意識に好み、
同時に、たまに与えられる誉め言葉に感激します。
つまり、アメとムチに中毒するのです。
そして、こちらの講師の方が、高い参加費を集めていたりします。
どちらを選ぶかは、好みの問題ですが、
どうせ選ぶなら、そうではない原因に気づいて、受け入れることで、
本来の自己へと近づいていった方が、
自分自身も楽しくハッピーで、
出会う人たちも楽しくハッピーになっていきます。
そして、今の時代は、そちらの方に向かって風が吹いています。