何かに反対することは、それに更にエネルギーを注ぎ込むことと同じだ。
それでは意味がない。
そうではなく、反対するのではなく、深い気づきが必要だ。
意識の光で、隠された深みまで照らし出すことが必要だ。
その無意味さ、その愚かさに気づけば、誰がそれを続けるだろう?
反対することは、それにエネルギーを与える。
それは、自分自身を見て、自分自身の小さなことについて試してみればすぐに分かる。
そして、それは世界の大きなことについても同じだ。
それにエネルギーを与えたいなら、反対すればいい。
しかし、それが目的でないなら、反対することは全く意味がない。
しかし、反対したい、闘いたいのに、それは意味がないからと抑圧しても意味がない。
反対したい、闘いたいなら、それに反対するのではなく、深い気づきが必要だ。