⑤/⑷宗教問題:積極面/7章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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⑤ 1525年、議会はルター派の本の輸入を禁じる必要性を見出した。これは1535年にも繰り返され、その間、1528年、スコットランドのルター派は、最初の殉教者パトリック・ハミルトン(訳注1)を出した。彼はセント・アンドリュースにあるセント・サルヴァトールズ・カレッジの前で火あぶりにされた。彼は、スコットランド王族の流れを汲み、若い時分にファーン修道院の名目上の修道院長にされ、勉学はパリ、ルーヴァン、セント・アンドリュース、マールブルクで積んだ。スコットランドに帰国後、Patrick's Places(信仰義認説に基づく簡潔なカテキズム(訳注2))を使って福音の伝播を行った。彼の処刑は非常な残酷さをもって行われ、彼の行っている運動に新たなる共感を呼び起こした。セント・アンドリュース大司教ジェームス・ビートン(訳注3)の召使いのうちの一人が大司教に、「もしも今後さらに人を火刑に処すのであれば、地中深いところに掘った地下室でやりなさい。パトリック・ハミルトンを焼いた悪臭が、それが到達した分だけ人をあの男の悪い思想に感染させたのですから」といった。ハミルトンの死後、セント・アンドリュースのセント・レナード・カレッジは不穏の中心地となった。批判者の中には聖職者の入り江を攻撃するのみだった者もいる。そうかとおもえば、それ以上のところまで行った者もいる。

 

 

(訳注)

 

1.パトリック・ハミルトン(1504?-1528) スコットランドの神学者。プロテスタント殉教者。国王ジェームス2世の次男オルバニー公アレグザンダー・スチュアートの娘キャサリン・スチュアートの夫サー・パトリック・キンキャヴィルのハミルトンの次男として生まれる。(Iain Torrance, Hamilton, Patrick, DNb)

 

2.カテキズム(catechism):キリスト教教理をわかりやすく説明した要約ないし解説の事で、伝統的には洗礼や堅信礼といったサクラメントの前に行われる入門教育(catechesis)で用いられる。文体は問答形式をとることが多い。(ref: Wiki, Jpn, "カテキズム")

 

3.ジェームス・ビートン(James Beaton):デイヴィッド・ビートンの父親。