④/⑷宗教問題:積極面/7章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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④ 社会全体を脅かすように見えた教義は、当然国家の敵意を掻き立てた。ジェームス1世は早くも1425年に、異端やロラード派を禁じる立法を行った。その後3代の国王によって通された、ハリカーク(訳注1)防衛のための法律は、常に不安があったことを示しているかも知れない。しかし、スコットランドのロラード派は静かだったように思われる。彼らのことについては1494年になるまではほとんど何も聞こえてこない。その1494年にグラスゴーのブラックアダー大司教(訳注2)は、国王ジェームス4世に30人ほどの異端者を密告した。しかし、王はそれを笑い飛ばしただけだった。(訳注3)しかし重要なのは、このエアシャーの者たちが糾弾される理由となった異端説は、まさにイングランドのロラード派のそれであったということである。そして、告発された者たちは、良き家族の代表者であったということと、マードック・ニスベット(訳注4)というエアシャーの者が、ウィクリフの聖書の校訂本のひとつ(パーヴィー(訳注5)版)を美しいスコットランド語に翻訳したということだった。(訳注6)明らかに伝統は残った。スコットランドには、「ドイツ宗教改革」の種が北海を越えて運ばれてきたときに、それを受け入れる肥沃な土壌があったのだ。

 

 

(訳注)

 

1.ハリカーク(Halikirk):ハリカークは、今日のスコットランド、ハイランド・カウンセル・エリアのケイスネスにおけるトゥルソー川のほとりの村。(Wiki, Eng, "Halikirk")

 

2.グラスゴーのブラックアダー大司教:ロバート・ブラックアダー(Robert Blackadder)のこと。(c.1445-1508, グラスゴー司教位:1483-1492, グラスゴー大司教位:1492-1508)(Leslie J. Macfarlane, Blackadder [Blacader], Robert, DNB)

 

3.1494年、グラスゴー大司教のロバート・ブラックアダーは、ロラード派であることが確定した30人以上の者を、世俗の権力による処罰のためにエアシャーのカイルから送ったが、処罰した記録がないところを見ると、世俗の権力はグラスゴー大司教の熱意をそれほど深刻に受け止めなかったことが察せられる。(ref:HP"Random Scottish History"→ Book List Contents → 'A History of Scotland'(1881)→ Chapter XI)

 

4.Murdoch Nisbet (fl.1531-c.1559) エアシャー出身。グラスゴー大司教区の公証人。聖書をもっとも早くスコットランド英語に訳した者の一人。ロラード派。(Martin Holt Dotterweich, Nisbet, Murdoch, DNB)

 

5.ジョン・パーヴィー(John Purvey)(c.1354-1414)(Anne Hudson, Purvey, John, DNB)

 

6.Murdoch Nisbet, Thomas Graves Law, Joseph Hall, John Purvey, John Wycliffe, The New Testament in Scots (1901)