③ ジョン・ウィクリフ(訳注1)は、生前は異端として非難されることはなかったが、彼の教え、すなわち「支配は恩恵の上に築かれる」は、彼の死後にさまざまな影響を残した。すなわち、「邪悪な人間は真の教皇にはなれない」、「通常教えられているような実体変化説は間違っている」、「すべての善良な人間は司祭になれる」などといった信念である。彼が創設した「貧しき説教師団」(訳注2)は、長くは続かなかったかも知れないが、一方で彼は有益な遺産(とくにラテン語聖書の英訳版(訳注3))をこの世に残した。彼の教義は、おそらく逃亡してきたイングランドの聖職者によってスコットランドに持ち込まれ、そして広まった。1407年にイングランド人のジェームス・レズビー(James Resby)がパース(Perth)で火あぶりにされた。(訳注4)また、1422年にはグラスゴーで名前は定かではないが犠牲者が出た。異端との戦いは、新設のセント・アンドリュース大学(訳注5)の主要任務のうちの一つとされた。おそらく、リチャード2世の妃アン(訳注6)の時代に、ロラード派とボヘミアのフス派との間で接触が始まったものと思われる。1410年にプラハで、スコットランド 人によって書かれた4通の激しく反聖職者的な手紙が公開された。そして、1433年、セント・アンドリュースにおいて、ボヘミア人で自称医師のポール・クロー(訳注7)が火あぶりにされた。
(訳注)
1.ジョン・ウィクリフ(1324-1384) 神学者。(Wiki, Eng, "John Wycliffe")
2.貧しき説教師団(原文"poor preachers"):ウィクリフによって創設された巡回説教師団(これがロラード派と呼ばれた)で、清貧を守り、人々に福音を伝えるために地域を巡回した。(ref: Merriam-Webster, "poor preacher")
3.1382年、新約聖書の英訳版を初めて出した。その次の年には旧約聖書の英訳版も出した。彼の約した聖書は、ロラード派によって伝道に使われた。
4.ジェームス・レズビー:Wiki, Eng には "John Resby" の見出しで載っている。
5.1413年創立。
6.アン・オブ・ボヘミア(1366-1394) リチャード2世(1367-1400)の最初の王妃。(Wiki, Eng, "Anne of Bohemia")
7.ポール・クロー(Paul Craw)=Pavel Kravař (c.1391-1433)(Wiki, Eng, "Pavel Kravař")1433年にセント・アンドリュースにて火あぶりにされた、ボヘミアより使わされたフス派の使者。