⑥/⑷宗教問題:積極面/7章/『スコ史』 | 藤原の田中のブログ

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⑥ その後ニ、三年の間に何人かの著名な学者が海外に逃亡した。その中の一部は大学の教授に収まり、ドイツ、スカンディナヴィアのルター主義とスコットランドとのつながりを強めた。その一部の学者たちの中にジョン・ガウという者がいた。ガウはマルメー(訳注1)に行って、そこでクリスチャン・ペーデルセン(訳注2)の論文を『天国への正道』(訳注3)と題してスコットランド語に翻訳した。そこで示されている教義は、純粋にルター派のものであった。ガウはルターのように、自分が認識している神の言葉に反しないような、すべての昔の教えを受け入れる傾向にあった。彼の本は、モーゼの十戒、使徒信経の分析に始まり、主の祈り、アヴェ・マリアの詳細な解説で終わる。それは、ルターのローマ人への手紙の序説や信仰の性質に関するいくつかの覚書を含むほかは、また、「聖なるカトリック教会」と「聖徒の交わり(communion of saints)」を省いているほかは、『ハミルトン大司教のカテキズム』(訳注4)にあまりにも近づいているので、両派の寛容な人々の間で中道が見出されたのではないかという疑問を触発させる。しかし、ドイツのレーゲンスブルクやフランスのポワシー(訳注5)での和解の試みと同様、決着を見ることは不可能だった。

 

 

(訳注)

 

1.マルメー(Malmö):スウェーデン南部のエーレスンド海峡に面した都市。(Wiki, Eng, "Malmö")

 

2.Christian Pedersen (c.1480-1554) デンマーク人。(ref: Wiki, Eng, "Christian Pedersen")

 

2.『天国への正道』(The Richt Way to the Kingdom of Heuine)以下のものを参照。

 

 

3.ハミルトン大司教のカテキズム:Archbishop Hamilton's Catechism. John Hamilton (1512-1571, セント・アンドリュース大司教位:1547-1571)

 

4.ポワシー会談:1561年、その地でカトリックとユグノーとの間で和解が試みられたが失敗した。(ref: Wiki, Eng, "Colloquy of Poissy")