1572年の栄光に包まれた反乱以来、フリシンゲンは、(カール5世によってその頃すでにその重要な港のゆえに、「ネーデルラントの女王でありかつ鍵」といわれていたが)非常に繁栄し、人口は増加した。それはすでにヨーロッパの「主要な港の1つ」といわれてもおかしくなかった。住民のいにしえよりの主要生活源、すなわちニシン漁はほとんど姿を消していた。なぜならば、ニシン漁の漁船はのきなみ、港から外洋に出ていくための海の径路(水道)に沈められて、スペイン艦隊の侵入を防ぐために使われたからである。(墓石までもが沈められた。)しかし、重要な航路と海洋貿易は速やかに確立し、ミッデルブルフと発展を競い合った。