(チャールズ、スコットランド教会に強制することを決める)
チャールズはいついかなる時でもそのような信仰実践における柔軟性に同意しそうになかった。1633年、ウィリアム・ロードが国王に伴ってスコットランドを訪れたとき、前者はスコットランドの教会の外観があまりにもみすぼらしいことにショックを受けた。中には単なる四角い建物であるだけのものもあり、彼にいわせればまるで鳩小屋のようであった。内部の桟敷席は、芝居小屋の座席を思い出させた [1]。ある時彼が、古いゴシック式の建物がそのような悪い扱い方をされているのを見て、「宗教改革のときからそうなったのです」と聞くと、彼は「それは改革ではなくて改悪だ」ときっぱりと答えた [2] [3]。
[1] 原注:Works, iii. 365. (vol. viii. 306)
訳注:ed. by William Scot (Vol. 1-2), James Bliss (Vol. 3-7), The Works of the Most Reverend Father in God, William Laud, D.D. sometime Lord Archbishop of Canterbury (7 vols) , (Oxford ; John Henry Parker, 1847-1860)
[2] 原注:このスコットランドの教会のみすぼらしさに対する当てこすりは、よく無分別な著述家によって、あたかも「カトリック時代のほうがスコットランドは経済状態がよかった」というような意味で引用されている。(vol. viii. 306)
[3] 「古いゴシック式の建物」とはセント・ジャイルズ教会(当時)のことであろう。1580年頃に内部が壁で分けられ、内陣(chancel)の部分が小教会になり、交差部(crossing)と身廊(nave)部分の残りが大教会になった。1633年にチャールズは、新しくつくるエディンバラ主教区のために、セント・ジャイルズ教会を主教座聖堂にすることを決める。そして、内部の壁を取り去る工事が始まる。(ref: Wiki, Eng, ‘St Giles’ Cathedral’)