デ・ロイテル伝1章3話 | 藤原の田中のブログ

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 こうしてフリシンゲンの町は1世紀以上もの間特定の領主のもとに従属していたが、1574年、オレンジ公ウィレム1世の要望によって、スペインに対する反乱の始まりにおいて同町が見せた勇敢なふるまいに対する褒美として、スペインの将軍モンドラゴンからミッデルブルフを奪ったあとに、フェーレの町とともにゼーラント議会に入ることを許された[1])。1585年になると、フリシンゲンの町はイングランド女王エリザベス1世がレスター伯を指揮官とする援軍をオランダに送ってくれた見返りとして、女王に質に出された港町の1つとなった。当時フリシンゲンの町には強力なイングランド部隊が駐留していた。その総督は有名な詩人であり武人であったサー・フィリップ・シドニーであった。彼は1587年に戦死すると、そのあとをウィリアム・ラッセルに継がれた。1590年以降はサー・フィリップ・シドニーの弟サー・ロバート・シドニーが総督となり、彼は1616年まで滞在した。同年、イングランドから借りた金の弁済が終わり、質入れが終わった。そしてフリシンゲンの人々は、人生の終わりのとき、イングランドに対してなされた忠節の誓いから永遠に解放された。

 


[1]) ゼーラント議会は、もともとは第1身分の聖職者、第2身分の貴族、第3身分の市民から成っていたが、そして第3身分の市民は、州内の6つの大きな町の代表団から成っていたが、スペインに対する反乱が起きると、第1身分の聖職者は議会から消え、第2身分の貴族は反乱を支持する者だけが残り、第3身分の市民は町が1つ減って5つになっていた。そこへフリシンゲンとフェーレが新たに加わったことになる。(ref: Wiki, NL, ‘Staten van Zeeland’)