私事で恐縮だが、昨年いわゆる「M-1グランプリ」に出た。
いきなり何なのだ。しかし、これにはある一連の流れがあった。
もう5年ほど前になるが、滋賀の爆笑王「ズー宏(ひろし)」に何度も「M-1グランプリ」(以下M-1)に誘われていた。もちろんズー宏の才能は認めているし、数回一緒に漫才もしている。しかしながら、当時は弟子の育成が土台構築の段階にあったし、「いまさら感」もなきにしもあらずということもあり、断り続けていたのだ。では、なぜ今回出場したのか。理由の一つは、自らが体当たりで道を切り開き、先鞭をつけることも重要であると悟ったためだ。テルモピレーの戦いにおけるスパルタ軍のごとく玉砕覚悟で血を流す決意を固めたのである。もう一つの理由は、ちょうどそのころ映像作家のシノ・ユーキに出会ったということもあるだろう。1年前、彼と出会って、その会話・口調を聞いた瞬間にツッコミの才気・才能を感じた。そこで、出場するに至ったのである。
漫才のスタイルとしては、私の伝家の宝刀ともいえるクールで静かな狂気のボケに対して、シノ・ユーキのポップでコミカルなツッコミが入るというものにした。もちろん、一回戦突破を目指すため、わかりやすくてポップにまとめるつもりであったが、ネタはブラックになった。なぜならば、ネタは好きなように作らせて貰わなければ、やる気・モチベーションが全く上がらないという事態に陥る可能性が高かったからである。そのかわり、ネタの回し方や演出を限りなくわかりやすい形にもっていった。
しかして、その結果は。
そこそこウケたが、一回戦敗退。
本番は、適度な余裕と緊張が調和した問題のない漫才であった。それだけに、氷の仮面といわれた無表情・無感情の私でさえ悔しさを露にしたのである。そこで、『ニュートラル』というコンビで一緒に出演していた友人のマッスル・アキタに八つ当たりをしたのである。崇神天皇、崇峻天皇。崇り神。合掌!
お互いに仕事があるため、二回戦に進んでいたとしても出演することはできなかったが、複雑な心持。その後、ある事実が判明するが、それは伏せておこう。
そのような経験をした翌年、私の脳裏にある思いが浮かんだ。これで、私の弟子がそれぞれの芸風にあったショーレースに出場し、全員敗退するようなことにでもなったならば、是非に及ばず小生は切腹する他はなし。ならば、いってみようではないか。まず、漫才を得意とするコンビ『篁(たかむら)』と『わに消しゴム』をM-1に出場させることにした。
まず、10月に『篁』がHEP HALLへ向かった。
しかして、その結果は。
そこそこウケたが、一回戦敗退。
猛毒・悩殺イケメンコンビだけに、特に女子の御ウケをちょうだいしたそうだ。なにせ、女子だ! ならば、どうして。すでにセミプロとして舞台に立っている経験者が有利なのはわかっているが、ネタや斬新さも評価してほしい。でも、女子だ!
そして、11月に『わに消しゴム』がHEP HALLへ出陣した。
しかして、その結果は。
そこそこウケたが、一回戦敗退。
ここにテンドンはいらない。稀代の美青年と切り裂きジャックという対極のコントラストとネタは、世代の区別なく笑いと取った。ならば、どうして。タイガーマスクのお面を被った中学生トリオも出演していたそうだ。もちろん、敗退した。ならば、どうして。女子は?!
さらにさらに、ショーレースではないがイベントに出演した弟子もいる。ウェルメイドでイリュージョナルなコントを得意とするコンビ『ヤッターマンズ』の柿薔薇エンペラーが、大学の友人とともに学園祭のステージに漫才で参加した。
しかして、その結果は。
ちゃんと聞いている人にはウケたが、大多数の人が聞いていない。
これは、確かにあるうる。こういう状態は、多々見られる現象なのだ。学園祭のステージ・イベントで漫才をするということを聞いて、私は以下のことをアドバイスした。
「笑い」に限定したイベントではなく、音楽やダンスなど何でもありの雑多なステージで「笑い」の芸を実践する場合、客が笑いに対する構えをしていない。そのため、面白いことをしても予想以上にウケなかったり、客が笑う準備が整っていない場合がよくある。挙句の果てには、聞こえていないということがある。そういった場合、ハプニングに対して動揺することなく自分たちの間を決して崩さずにネタを貫徹することが大事になってくる(場合によっては、音響を調節する必要もある)。舞台が高くしてあるのは、見せる側が立つからということを決して忘れてはいけない。
今年も今月で終わりを告げる。天皇御即位20周年、ベルリンの壁崩壊から20年、電気グルーヴ結成20周年のこの年、わが一門は「そこそこの笑い」を取ったことは事実である。そして、「ちゃんと聞いている人にウケた」ことも事実である。また、「一回戦で敗退した」ことも事実なのである。敗走。敗走。一ノ谷、屋島、壇ノ浦。我々は、平家一門ではない。DEATH一門である。でも、平家は好きだ。
「勝負は勝たなければ意味がない」 たまに耳にする言葉だが、それを言うならば「勝とうが負けようが、面白くなければ意味がない」である。勝っても「笑い」を生産できなければ意味がないし、負けても「笑い」を頂戴できなければ死んだ方がいいし。ヒマじゃないし、カーテンもないし。花を入れる花びんもないし、嫌じゃないし、カッコつかないし。電気グルーヴ!
私は今年、音楽活動をメインプロジェクトとして走り続けてきた。そこで、先月から敗戦の要因を探るため、一度ゼロから「そこそこの笑い」・「小さな笑い」について、考察していかなければならないと考えた。そのために、まず「自らの笑いの手法をわざと封印してみて、新たに出会う人に接してみる」という作戦に出たのだ。
何をしているのだ、私は。
それもこれも、笑いのない世界から、徐々に笑いの要素を増加させていき、「そこそこの笑い」・「小さな笑い」が創造される過程を研究し、「大きな笑い」を取る方法を見つけ出すための試金石を作り出さなければならない。
この実験を始めて一ヶ月、ある問題が生じた。
最近の私の評価が以下のようになってしまったのだ。
「天然」
どういうことなのだ。この世に生をうけてから早32年、一度も言われたことのない言葉。
「天然」
自分が「天然」であればどんなに幸福だったことだろうか。私は人知れず悩み・思考し、笑いを生み出そうと切磋琢磨してきた。そんな中で天才とよばれるナチュラル・ボケニストたちに美味しいところを謙譲してきたのだ。ただ、集団コントをする場合には重宝する人材であり、大いに助けられてもきたが。
32年目にしてやっとわかった。私は、天然であったのだ。
いや、おかしいだろうよ。それはよお。私の保持する笑いの機能を全て停止させると、「天然」になってしまうということか。
そして一ヶ月半後、こうも言われはじめている。
不思議キャラ。
それは、私が好きな女性のタイプではないのか。
もう、わからなくなってきていることだけは確かだ。
いやいや、そうではない。これは実験であった。実験だ。実験を続けよう。
研究発表を待て!
身はたとひ 恥辱の荒野に朽ちぬとも 留め置かまし NOW‐KOW魂
女子!