こんにちは
東京はあったかくなりましたね〜![]()
その代わりなんだか、眠い・・・![]()
さて、前回、「アウトランダー」のドラマを紹介したのですが、、
話が進むに連れて、エグい性的シーンが目白押しで![]()
おすすめするには、厳しいかも
という感じになってきました。。
エピソード1くらいは良かったのですが、、
そんなシーンは早送りしてみました・・・![]()
ということで、ドラマは置いといて、、
ブリテン島に農耕文化・ストーンヘンジの巨石文化がどのようにして入ってきたという考察。
まず、ブリテン島に農耕文化を入れたのはどんな人たちなのか、調べてみました。
詳細は分かっていなくて、諸説あるのだとか。
今回は、いくつかのイギリス史の文献を元にした、慶應義塾大学の教授の方の考察を
参考にさせていただき、時系列にまとめました。
・紀元前1万年頃(旧石器時代末期):ネアンデルタール人の文化をもった旧人に代わり、新人が狩猟採集の生活を営んでいた
・紀元前7000-6000年:大陸と完全に切り離され、ブリテン島の誕生
・紀元前4000年頃:農耕や牧畜も始まり、新石器時代に入る
イベリア半島あるいは北アフリカ沿岸より人々が渡来していたようだ
・紀元前22世紀-20世紀(BC2200年-BC1901年頃)(新石器時代末期):大陸からビーカー人(埋葬品として用いられた口広型の土器にちなむ)と呼ばれる戦士集団が、青銅器文化をもたらした
ビーカー人は、おそらく印欧語を話していたと考えられる
・紀元前18世紀(BC1800-BC1701年頃):ストーンヘンジに代表される巨石文化が栄えた
この頃までには大小様々な集団が生まれていた。
・紀元前6世紀(BC600年〜BC501年頃):冒険的戦士集団ケルト人がアルプス山脈北部に紀元前2千年紀頃生まれ、千年ほどかけ北西ヨーロッパ、中欧、東欧にかけて拡張し、ブリテン島に渡来。
青銅器文化の担い手を追い出し、鉄器文化をもたらしつつ、この島に住み着く
(ケルト人といっても多様な先住民が征服者vケルトの文化と言語を共有する文化的集合体)
・紀元前2世紀末:ブリテン島に渡来してきたケルト人のなかでも中心的な役割を果たしたとされるベルガエ人が高度な鉄器文化を発達させていた。数十の部族が分立していたが,紀元前1世紀半ばよりローマ軍団に狙われることになる。
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上の時系列で見ると、ストーンヘンジが作られたのは、農耕文化の後、ケルト人の渡来よりも前らしい![]()
ストーンヘンジでケルト人が祭祀をしたという話は、はすでに作られていたストーンヘンジを利用して、祭祀をしていたということだったのか!
農耕や牧畜は、新石器時代に入る時代にイベリア半島あるいは北アフリカ沿岸の人々からもたらされ、
ストーンヘンジや巨石文化が栄えたのは、青銅器文化をもたらしたビーカー人(鐘状ビーカー)がやってきた後のようですね。
また、Nature紙のサイトから:
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独特の文化遺物と農業がヨーロッパに広まった過程をゲノム技術によってたどり、新石器時代と青銅器時代のヨーロッパ人の生活に関する知見を集めた2報の論文が、今週掲載される。
古代人の文化は、当時の人工遺物によって解明されることが多い。その1例である鐘状ビーカー複合(Bell Beaker Complex)は、定型化した鐘状ポット、銅製短剣、矢尻、石製のリストガード、独特な穴開きボタンなどの品の一群で、新石器時代末期の墓所と考えられる場所で発見された。
鐘状ビーカー文化は、紀元前2750年に始まり、西ヨーロッパと中央ヨーロッパの全体に広がったが、この拡散の原因が古代人の移動によるものか、文化の発生によるものか、その両者なのかという考古学上の論点に決着はついていない。
David Reichたちの第1の論文には、136か所の考古遺跡から出土した新石器時代、銅器時代、および青銅器時代のヨーロッパ人の遺体(400体)のゲノム全域のデータを解析した結果が示されている。
400体のうちの226体は、ビーカー形の物体と共に埋葬されており、遺伝的多様性が認められたことをReichたちは報告している。この結果は、文化の伝達と古代人の移動が共に重要な役割を果たしており、これら2つのプロセスの関わりの大小に地域差があるとするモデルの正当性が裏付けられている。
また、Reichたちの第2の論文では、紀元前12000~500年に生きていた225人のヨーロッパ人のゲノムを解析して、もう1つの文化的革新である農業が南ヨーロッパに拡散した軌跡を明らかにした。農業は、紀元前7000年紀の中頃に東南ヨーロッパに定着したアナトリア出身の移住者がヨーロッパに持ち込んだことが判明した。
この研究でReichたちは、ヨーロッパ全土での農業の拡散に関連する遺伝的動態を調べて、東南ヨーロッパが、農業が到来した時期の前後に東西の人々の接触点として機能していたことを明らかにした。ただ、先住民と移住者の交流の程度には大きなばらつきがあり、東南ヨーロッパを通って、北ヨーロッパと西ヨーロッパに移動した一部の初期の農民は、狩猟採集民との遺伝的相互作用が限定的だったが、その他の集団は、東南ヨーロッパの地元の集団と広範に交配を行っていたことが、この論文に記述されている。
鐘状ビーカー(画像:wikipediaより)
アナトリアを起源とする移住者が農耕をヨーロッパに伝えたという論文。
アナトリアは、現在のトルコ共和国のアジア部分を占める、黒海、エーゲ海、地中海に囲まれた半島地域で、「文明の揺りかご」とも称され、古代からヒッタイトやオスマン帝国など様々な文明が栄えた、東西文明の交差点ですと言われていて、トロイの木馬も有名。
アナトリアは、ロマンがあるよね〜〜
調べたいけど、キリがなくなるので、やめておこう![]()
ということで、アナトリア人が、農耕をヨーロッパに伝えたのが濃厚。
でも、「北ヨーロッパと西ヨーロッパに移動した一部の初期の農民は、狩猟採集民との遺伝的相互作用が限定的だった」とあるので、
やはり、ブリテン島には、農耕文化が伝わりはしたものの、古代人の移動は少なかったということだろうか。
巨石文明は、鐘状ビーカー文化以降からとあったので、アナトリア人でなく、鐘状ビーカー人に関係しているのかも?
次回、鐘状ビーカー文化について調べてみます。
