こんにちは![]()
早く、武甕槌命の考察を終わらせ、福岡・大分の旅の考察を進めたいところなのですが、都度都度、出先や生活で気になるところがあると、ハマってしまう体質で![]()
最近は、個人的にハワイがブームでして、、
週末にスパリゾートハワイアンズに行ってきました![]()
子どもたちはプールが大好き。私はハワイが大好き。夫はリゾートが大好き。
という満場一致で、みんなでワクワク![]()
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行ったら、ほんとよかった〜〜〜![]()
リゾートを感じるお部屋
朝夕のポリネシアンバイキング
スライダーがたくさんある温水プール、流れるプールはお魚もいっぱい
そして、おすすめは夜のポリネシアンダンス
ハワイアン
ファイアーダンス(サモア)
サモアダンス
タヒチアンダンス
ポリネシアにも衣装やダンスは様々なんですね〜![]()
そして、水着で入れる源泉掛け流し温泉や、普通の源泉掛け流し温泉も。
ハワイアンズの温泉も良かったですが、
ホテル(モノリスタワー)の温泉もすごく良かった。
名前が、「うずの湯」。巻貝がモチーフらしい![]()
で、その温泉と同じ階に、いわき温泉の成り立ちにアンテナが立って
しまいました![]()
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ちなみに、いわき温泉は、道後温泉(愛媛)、有馬温泉(兵庫)と共に、
日本三古泉の一つと言われ、「美人の湯」としても知られているそうです![]()
成り立ちの伝説がこちら
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景行天皇の時代、陸奥の国は「東夷(あずまえびす)と称し、夷賊の猖獗(しょうけつ=)を極め」たところでありました。
そのころ、近江国日野郷に岩那・磯那と呼ばれる二人の者がおりました。
この二人が陸奥の国の佐波古(さはこ)の里にきた時、はるか遠くより、一羽の丹頂鶴が舞いおり、
林の中へ消えました。
二人は何かあるのかと、注意してみると、その林の中より、湯気が立昇るのが見えました。そこで近寄ってみると、さきほどの鶴が、夷賊の矢にあたり怪我をしたところを、湯にしずめていました。
二人は大変同情して、親切にその傷を洗ってあげたので、一週間もしないうちに治りました。
さて、鶴が去って、三週間すぎたころ二人の前に、一人の絶世の美人がおとずれました。二人に稲と粟のほかに一巻の神書を授けて帰っていきました。それで、彼らはこの神書を不思議に思い、これを開いて見れば「佐波古の温泉は忝くも、御神の造りあそばれ給うものなり」
と書かれてあり、また「汝らこの地を開き、快く天寿を完うし、かつ住民の生存を計るすべし」
とありました。
二人はわきでる温泉の近くに小屋を作り、そして、森や林を開拓して、温泉の発展のため一生懸命に働いた、といわれています。また、その鶴の傷を洗った所を「鶴の湯」と名づけた、といい伝えられています。(『湯本温泉古記』)
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気になったのが 岩那・磯那の名前と、鶴 ![]()
また、岩那・磯那の出自の、近江国日野郷を調べたら、、
・織田信長に従った蒲生氏郷(がもううじさと)公ゆかりの地
・近江日野商人ゆかりの地
として有名だそうで。
蒲生氏郷公は、日野中野城で蒲生賢秀の子として生まれ、
幼名を「鶴千代」といいました。
ここでまた鶴 ![]()
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まず、岩那・磯那の名前が、海洋民族を匂わせている名前で、気になったのですよね。
那珂の「那」を両方使っているところとか、
海洋民族、安曇氏(阿曇氏)の祖神「安曇磯良」と「磯那」が似ているなぁと。
しかも、「那珂」を思わせる中野城とは・・・まあこれは考えすぎか・・・![]()
ちなみに、安曇磯良のウィキペディアによると、
・『八幡愚童訓』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている
・磯良の明神は奈良春日大社でも祀られており、春日若宮おん祭の細男(せいのう/せいのお/さいのお)と称して磯良の舞が奉納される
・奈良春日大社の磯良の舞は、筑紫の浜で老人から「細男の舞をすれば、磯良が出てきて干珠・満珠を授ける」と聞いた神功皇后が舞わせたところ、貝殻のついた醜い顔を白布で隠した磯良が現れたという物語を表現したもので、白布の覆面姿の男たちが舞う。大分県中津市の古要神社には、操り人形による細男の舞があり、同様に白布で顔を隠した磯良の人形が使われる。同様のものは、福岡県吉富町の八幡古表神社にも伝わる。
ともあり、武甕槌と春日大社の関連の考察にも関係している気がする![]()
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さて、お次は鶴の考察。
幼名「鶴千代」の蒲生氏郷公で有名な近江国日野郷出身の岩那・磯那が助けた鶴が
由来で「鶴の湯」となったいわき温泉。
JMCL日本巨石文化研究所所長、元ARARAアメリカ岩石芸術学会会員/元日本文化デザイン会議客員講師である「ペトログリフ研究家」の武内一忠先生によると、
海洋民族の遺跡があるとされているところが、「真鶴」。
なぜ「海洋民族」が「鶴」と関係するのか?というと、
特に日本に初期に戻ってきたフェニキア人(海洋民族の一族)は地名に自らの都市の名前ティルス(Tyrus/ツール)=鶴を混ぜている。
と考察されているそうです。
なぜ幼名が「鶴千代」だったかというと、蒲生氏の家紋が鶴であり、
蒲生氏が平安中期の武将・藤原秀郷(俵藤太)の子孫を称した「秀郷流藤原氏」の流れを汲むそう。藤原秀郷を辿ると、藤原氏 > 中臣鎌足となりました。
なので、蒲生氏は、藤原氏・中臣鎌足がルーツのようです。
ちなみに、中臣鎌足のルーツは、
実は、一説によると、茨城県鹿島市だそう。![]()
これは、夫に聞きました。
鎌足神社境内地
鎌足神社は鹿嶋市宮中字下生にあり、中臣鎌足の誕生地(市史跡「鎌足神社境内地」)と伝えられています。藤原鎌足の生誕地には、当地と奈良県橿原市の二つの説があります。
いつごろ建てられたかは不明ですが、江戸時代から明治にかけてまとめられた常陸国の歴史と地理の大著「新編常陸国誌」の鹿島郡・宮中の頃に「鎌足社」があり、当地が鎌足の生誕地であるという説が紹介されており、この地域が江戸時代から鎌足ゆかりの地とされていることがうかがえます。
境内には明治25年に建てられた「大織冠藤原公古宅址碑」という石碑もあります。

春日大社は、藤原氏の氏神として祀られている神社。
その藤原氏の祖の、中臣氏の誕生池が、茨城県鹿島市。
鹿島の神、武甕槌命を春日大社に呼んだ理由の一つも別の角度から
分かってきましたね![]()
武甕槌命のことを書くつもりなかったのですが、
別の角度から関連づいたので、タイトルにも入れることにしました〜
今回私が知れたポイントは、「亀(熊野神社 須佐之男命)」だけでなく、
「鶴」も海洋民族と関連があること。鶴ももっと調べたいな〜
そして、元の角度でも、多氏と甕信仰の方でも調べたい。
ではまた〜〜![]()






