こんにちは

 

GWの福岡旅行。

夜の20時ごろに東京を出発し、安全運転90キロで高速走行。

 

夜中に関西を超えて兵庫で仮眠。

午前6時に吉備SAできび団子を食べ、

午前8時に宮島SAで厳島神社を遠くから拝みました。

 

私は、ペーパードライバーで運転の才能ゼロなので、

おしゃべり担当。

 

そして、12:50にやっと宗像大社へ着きました!

 

 

さすが、古代文明の痕跡と言われていてる、盃状穴も普通にあって嬉しい!
 

 

盃状石とは:
世界中で見られ、再生や不滅のシンボルとして信仰されてきた。女性シンボルと関係があるとされ、現在でも病気の治癒や子宝に恵まれる事を願って信仰されている。ヨーロッパでは古くから研究されている。
日本の盃状石は縄文時代から作られている。元々は磐座に彫られ、子孫繁栄や死者の蘇生を願ったものとされている。古墳時代には古墳の棺に彫られた。 同時代のものとされる福岡県宗像市の大島海岸の岩石に数多くある盃状穴は馬蹄岩と呼ばれる

ウィキペディアより

 

以前は宗像大社の全ての場所を回りましたが、

今回は、辺津宮と高宮祭場、宝物館に絞りました。

 

 

 

この森の中に、市杵島姫神の降臨の地とされ、

社殿がない古代祭場の高宮祭場があります。

 

森の中は空気、世界が違いました。とっても清浄な空間です。
特に祭場はすごいです・・・

来てよかったです。

 

ドライブ中にトカゲの夢を2度見たの事を急に森の中で思い出し、

その話を森の中で娘にしていたら、その直後に「今、ママの足の間をトカゲが走っていったよ!とかげ」と娘が教えてくれました爆  笑

私はトカゲさん見れなかったけど、神社の守護者からのご挨拶かな?と思いました。
宗像の女神様、ありがとうございます!

神宝館は、女人禁制の祭祀場、沖ノ島で出土された、ほとんどが国宝のもの。
宝石や金の指輪がすごかった。
刀や鎧は、当たり前だけど、よくないエネルギーでした💦

撮影可だったので、宗像一族と天皇家の関係図を撮ってきました。


 

中国や、韓国との国交が盛んで、海人族を代表して、神事も受け持っていた

宗像一族は天皇家でも特に優遇された歴史がよくわかる資料館でした。

 

お昼をゆっくり食べる時間を断念して、

次の志賀島にある、志賀海神社へ。

 

志賀島の景色が懐かしか〜〜〜お願い

 

神社の鳥居は入り口が小さく、別世界へ行く入り口のようでした。

しかも、すごい光!

 

 

入り口には、浄化の砂があります。これを両肩にかけます。

 

ちなみに、浄化の砂の話関連で、有名な浜の砂もありますが、

家に置いておくのはお勧めしません。ちょっと怖い話を聞きました。
もちろん個人の自由ですが、砂をお迎えした後に、あまり体調がすぐれない場合は、砂を手放すことをお勧めします。

 

 

 

亀石。

神功皇后が三韓征伐へ出兵の際、阿曇の方を通じて七日七夜、お神楽を奏して祈願したところ、黄金雄雌の亀に乗った志賀明神と勝馬明神が出現され、玉を授けたそう。その亀は石になってここに納められたそうな。

 

福岡県の志賀海神社に伝わる神楽【山誉め祭】の神楽歌の一節に、「君が代」が詠まれています。
山誉め祭は神功皇后の時にも執り行われたというから、相当昔から行われていた儀式のようです。
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君がだいは 千代に八千代に さざれいしの いわおとなりてこけのむすまで

 (中略)

志賀の浜 長きを見れば 幾世経らなむ 香椎路に向いたるあの吹上の浜 千代に八千代まで

今宵夜半につき給う 御船こそ たが御船ありけるよ あれはや あれこそは 

阿曇の君のめし給う 御船になりけるよ

いるかよ いるか 汐早のいるか いそが崎に 鯛釣るおきな

ーーー

 

また、それにちなんだ場所も福岡には残されているそう。

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・千代に八千代に…福岡市東区の千代町

 

・さざれ石の…細石(さざれいし)神社(福岡県糸島市)盤長姫(イワナガヒメ)と妹の木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)が祭神。

 

・こけのむすまで…盤長姫は別名苔牟須売神(コケムスメ)という伝承がある

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さて、この歌の、君が代は誰か?というと、阿曇の君とあります。

志賀島の阿曇(安曇)族については、過去記事のこちらの【志賀の海人】をみてね↓

 

 

それについて調べていたら、糸島になる名島神社にも、同じような歌が伝わっているらしく、名島神社の宮司さんとの会話を書かれているブログを見つけた。

 

 

名島神社の宮司さんが、
「これは志賀の島に来る那の国王をお迎えする歌ですよ。」

と言われたそう。


那(な)の国王?ってもしかして 奴(な)国のこと?
中国では「なこく」と聞いた言葉を漢字で当て字で奴国 にしたのでは?

奴国= 那国で、私が福岡の那珂地域から始まった、探求している、那珂の海人であり、奴国の王が、志賀島の安曇の王だったとしても頷けます。

そして、糸島の名島神社の名島=那島となるのでは? 那の国の島だったのかもしれません。

 

また、君が代の国歌のなりたちについてですが、
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明治時代になって、鹿鳴館で外国の客に日本の歌を紹介するために、
資料を求められたのが、「香椎宮」の宮司・木下美重(よししげ)氏です。
多くの神楽が香椎宮に記録保存されていたそうです。
その時に選ばれたのがこの「君が代」です。
宮内省雅楽寮の奥好義(おくよしいき)氏によって、作曲されました。
(『儺の国の星・拾遺』より)

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とのことなので、

香椎宮は福岡にあり仲哀天皇・神功皇后夫婦(八幡様)を祀る神社なのですが、

志賀海神社の上記の神楽歌にも、

「香椎路に・・・」と出てきているかなり由緒のある神社です。

 

詳しくはこちらのブログで。

 

志賀海神社の後半へ続く・・・