こんにちは

 

私の浄化が終わったと思っていたら、

今度は子ども達のヘルニアの手術がやっと終わり、しばらく家で看護が必要で、それも終わり、ホッとしています。

ヘルニアはへそと下腹部(そけい部)に腸が飛び出してボコっと出ている状態で、

本当は幼稚園時代にやる予定でしたが、発熱やらコロナやらでこのタイミングに。

 

でも、幼稚園時代は一人だけの下腹部だけの予定だったのが、

双子ともにへそと下腹部(そけい部)に一気にやってくれるとのことで、

今のタイミングが最善だったのだと感謝しています。

 

うちは一卵性の双子で、色々左右対称。

利き手や頭のつむじ、背中のつむじも右回りと左回りで違います爆  笑
そけい部ヘルニアの患部も、片方は右側、もう片割れが左側でした。

双子の神秘ですね〜ニコニコラブラブ

 

それまで私自身が心配だったのか、私が風邪や咳が長引いたり、お腹の調子が悪かったりしていましたが、子どもの手術が終わったら嘘のようにスッキリしました照れ

 

いやー長かった・・・笑い泣き

 

さて、本題。

 

GWに私が小2から12年間住んでいた懐かしの福岡の旅へ行こうと思っています!!

夫は大分も行きたい!とのことだったので、大分も。

 

その中で、絶対行きたい場所がありました、それが、志賀海神社。

 

小さい頃、よく志賀島の海の中道のプールや遊び場に連れて行ってもらい、

今でも思い出すくらい、何か特別なことをしたわけではないけれど、

不思議とすごく気持ちがよかったという感覚が残っていて、そこにも神社があることを今になって知り、ぜひそこへ行きたい!というのが福岡の旅のきっかけです。

 

その他もほぼ、神社巡り。特に、遺跡や地名にフォーカスしてみました。

 

色々と調べると面白すぎて、、、そして、直感アンテナが働いてるのか?
このタイミングで、関係する情報や気になる場所がどんどん出てきて、、かなりコーフンしてます爆  笑

 

なぜ地名かというと、書物や神社の神様などは、後からの侵略した側がストーリーや神様の名前なども書き換えてしまっていることもあるのですが、地名は消えずに残っていることが多いと考古学の学者さんが言っているので。

夫も同じ考えらしく、地名から今回行きたい場所をチェックしています。

 

夫は、大分県日田市。日(太陽)と田というシンプルな文字と音に何かあると調べ中です。そこは夫に任せてます。

 

私は福岡県の那珂エリア。遺跡や那珂川があります。

実は、茨城県にも那珂川や那珂市、那珂湊という地名があり、

私の親の出身がそこなのですね。
 

「那珂」ってあまり使われない特徴のある漢字なので、同族が移住してる形跡なのでは?というところから調べることに。

 

那珂について、調べると宗像大社の神宝館の説明書きらしき写真を発見。

 

古代の玄界灘には、海人族(かいじんぞく、あまぞく)、海神族(わたつみぞく)と言って、胸肩(宗像)の海人、志賀の海人、那珂の海人がいたと。

 

 

それぞれの海人族を調べていくと、それぞれが胸熱な考察にお願いキューン

 

【志賀の海人】

志賀島を拠点とし、阿曇海人とも呼ばれる。

阿曇(安曇)族は、長野県の安曇野にも川から登って定住したのだそう。
安曇野には、ハレノヒに、伝統食イゴ(いごねり)という海藻を今も食べる風習があるのだそう。

古事記には安曇族の祖先神は「綿津見命(わだつみのみこと)」とその子の「穂高見命(ほたかみのみこと)」だと。長野の穂高神社や穂高岳ですよね。

志賀海神社(しかうみじんじゃ)が全国の綿津見神社(わたつみじんじゃ)の総本宮となっており、安曇氏の発祥地とされているそうです。

「アツミ」や「アズミ」の地名で、北九州、鳥取、大阪、京都、滋賀、愛知、岐阜、群馬、長野にも分布しているそう。

また、丹後国一宮・籠神社の海部氏と安曇氏は親族と言われています。

 

 

【宗像(胸肩)の海人】

上の説明で画像の通り、胸や肩に刺青を入れ(亡くなっても刺青で誰かわかるよう)、潜水して漁をする一族。

別ルートで調べたところ、出雲口伝では、出雲族の分家が宗像族を作ったと書かれています。

宗像を拠点として、中国や朝鮮との交易に長け、鉄器文化・外洋航海技術や、

宗像大社の沖津宮の司祭となるなど、大和政権でも重要な祭祀や外交の役割を果たしたそう。

 

【那珂(なか)の海人】


海人族の第一人者、宝賀寿男の説:

本来の高天原(所謂邪馬台国)は北九州の筑後川中・下流域にあり、天孫降臨の地は現在の怡土郡・早良郡(現糸島市、旧伊都国)辺りで、葦原中国とは海神信仰の強い那珂郡(奴国)のことであるという。
実際に奴国と想定される博多地域では志賀海神社や安曇氏など海神族の色合いが濃く、出土した金印の鈕も海神族のトーテムである蛇である。


私の意見としては、邪馬台国は置いておいて、那珂族の地域は、奴国があるとされる場所にあるので、金印の「漢委奴国王」をもらった奴国だった可能性があると思いました。

また、那珂(なか)=ナーガ(蛇神)から来ているという説も。

また、那珂や、「長」がつく地名もあるそう。

私が住んでいた福岡の場所も、那珂川から少し入った、長住でした。

周辺は、長丘、長尾など。

那珂地区周辺には筑前一宮の住吉神社(全国に2,129社ある住吉神社の中でも、最初の神社)、現人神社(住吉三神のルーツと言われる神社)がある。

 

宝賀寿男氏は、日本の古代氏族は大まかに3族から成ると言う。
・縄文系で土着の山祇(やまづみ)族(中臣氏、大伴氏など)、
・中国・江南からきたタイ・越人系の海神(かいじん)族(阿曇、三輪氏など)、
・中国の山西省付近から朝鮮半島南部を経由してきた東夷系の半猟半農の種族で天皇家となった天孫(てんそん)族(天皇家、物部氏など)。

トーテムは、動植物を祖先と見た原始氏族の信仰で姓氏の起源です。
東夷・ツングース系の天孫族は日神信仰(天照大神、ただし男神)と鳥トーテムを持ち、金鵄(きんし)伝承や八咫烏(やたがらす)、白鳥伝説などはその表れ。

稲作を伝えた海神族は竜蛇トーテムを持っていました。奴国王が後漢の光武帝から賜った金印の鈕(つまみ)が蛇だったのはそのせいで、海神族出身の豊玉姫が出産時に鰐(わに)と化すのもそのせい。


山祇族の場合は天孫族や海神族ほど明瞭ではありませんが、犬狼トーテムを持ち、月神・火神・水(雷)神を祀(まつ)ったことが特徴と説いている。

詳しくはこちら

 

TOLAND VLOGさんが、木曽川沿いの、岐阜県各務原市(旧 那加町)を

フィールドワークした回を昨日、見つけました😆

 


実際、私の先祖がたまたま住んだ場所では?(那珂族と関係ないかも?)という疑念が残りますが、那珂湊の母の旧姓や家紋から、四国の出だという可能性があり、

実際、その子孫から、集まろうと祖父に連絡が来たこともあるそう。

 

四国は昔は、長(ナガ)国と粟国(阿波((アハ)=海人(アマ)」)と言われていて、海洋民族とも言われているよう。

 

http://www115.sakura.ne.jp/~byunbyun/wonder1/wonder74.html

 

 

そして、映画「すずめの戸締り」の、イケメン草太さんが、「宗像」姓で、
四国ですずめが出会った旅館の女の子は「海部」姓でした。

 

 

長くなったので、今日はここまで!