無条件の愛?条件付きの愛?どちらも ただただ、愛である。 | “Individualistic”唯一無二の人生を生きよう!

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“本来の・唯一無二の自分自身”を生きよう。

自分と心底つながって、自分を生きる。

自分のニーズは
誰よりも自分がキャッチして
不要なものは「解き放ち」、

自由に(再)選択して、
自分の世界を創っていこう✨



『 無条件の愛など無い 』


あるとき、フッと思いました。




髙井佐友里ですハート




「 前回の記事に、

“9日ぶりの更新~”ってあったけど

もう、(前回から)9日すぎてない?笑 」


そんなツッコミを、昨日

個人長期プログラム生にされました。笑




たしかに!!!




なんだか、2月って

スケジュールが詰まりがちじゃ
ありませんでしたか?


わたしだけでしょうか??真顔




前回の雪記事 以降も


特に先月末の沖縄!!




も~、書きたいことも

載せたい写真もてんこ盛りお・・



なのですが、




今日は


『 無条件の愛など無い 』


について、書きます。




もう、めっちゃ書きたいのです。




対極として、


『 条件付きの愛も無い 』



声高に叫びたいところです。




そもそも愛に、

条件も無条件も無い。




というか、




そもそも

「愛」という単語に


無条件の~とか、
条件付きの~とか、


そういった言葉を付けることに

わたしは違和感を感じていました。





だって、


この世に存在しているモノは、

全部ぜんぶ、『愛』だから。



愛じゃ無いモノって、あるのでしょうか?




ただ、その表現の仕方が

愛じゃないように感じられるトキ。


たとえば、、


◎怒る、ムカつく

◎虐待する

◎受容しない

◎否定する

◎批判する



こうしたモノたちを
放つときって、

愛とは対極のモノだと、
対極のことをやっていると、

わたしたちは
感じることが多いかもしれません。





だけど、



「 どうして怒っているのか? 」



その本当の理由を探っていったら、

それは『愛』だった、



大概、そういう結論になるのです。





たとえば、

わたし自身の話ですが、


パートナーである夫にムカつくこと、

結構な頻度であります。笑



でも、なんでムカつくかって

丁寧にじぶんの深層を観ていくと、、



『 (本当はすごい人のくせに!) 』


っていう類の想いが出てくるのです。



『(本当は、才能あふれる男のクセに)
 何つまんないことやってんの?!』

『(本当は、大きな使命役割を
 任されている人だって感じてるだけに)
 何で そんな小さいことやってるの?
 じぶんの影響力を発しない選択をするの?!』



もーーーー、ムカつくわけです。




でも、(  )の部分だけ見たら。



超~、夫をすごいと想ってる!!



から、なんですよね。


ムカつく本当の理由は。




氣づくと悔しかったりするのですが、


ここでも悔しくなるくらい、

夫の魅力を感じているから



それを発揮していない姿を見ると



ぐわ~~~っと

怒りが湧いてくるのです。




だから、結局は『愛』なんです。


丁寧に観ていくと、必ず愛に行き着く。





愛は、ただ愛である。





条件付きの愛は届かないとか、

叶わないとか、


無条件の愛が良いとか、

それがすばらしいとか、




どっちも、そうなっている

“そもそも”を観ていったら


結局は、どちらも


根本は『愛』です。





本当、


わたしたち=愛だし、


この世に存在しているもの、
自然も物質も、=愛だし。




どんなことも、


存在している=愛です。





だから是非、これからは


「これは愛か?そうじゃないのか?」


という思考は安心して、

今すぐ丸ごと捨てていただいて、




じぶんの、世界の、

すべての側面に『愛を見出す』





そういう意識で

1日を過ごしてみてください。



人生を生きてみてください。





何もかもが愛であるって、

細胞ごと体感できる日が来ます。



“すべては愛である”



これを知りたい、腑に落としたいと

願って動いて生きていたら


必ず体感し腑に落ちる日が来ます。





「 愛かどうか? 」



なんて、悩まないでください。




そもそも愛ですから。



すべからく、すべて愛。


あなたは、愛。



あなたが選択することも、
(そうは思えないことも突き詰めれば)

すべて愛です。





ここに書いてあることが

信じられないときは、



『 愛である 』と感じたいのか、

知りたいのか、



まず じぶんの内側に

問いかけてみてください。




答えが Yes!ならば、



“それを感じたい”

“それを実感して知りたいんです”



という想いを放ちながら


それが体感できる日まで

ずっと その想い・願いを放ちながら


過ごしてみてくださいね。





愛という光源を見出し続けることより、


光源の対極である

闇・漆黒に流される方が、ぶっちゃけ楽です。



でも、わたしたちは

それを望まない、ということも


あなたの本質は、しっかり知っているはずです。






うん、閃いた!おねがい




次回は・・



願いが神様にキッチリ届く

願いの放ち方♡




具体的に書いていきますね!ラブラブ