ヒーリングサロンDesertRoseです。


私の過去の清算となったライトワークに着手したのは、2022年9月5日の美作の国にある、衆楽園(旧津山藩別邸庭園)の帰りに、岡山県勝田郡奈義町にある「諾神社」に導かれたのがきっかけとなり、このときにこちらの御祭神から
辺り一帯のライトワークの依頼を受けました。


勝央町の辺りで、衆楽園に龍神たちが一緒に行くと降りてきていたので、その流れで導かれたようです。


この辺りは、三穂太郎伝説のある地。


三穂太郎は戦国時代まで美作地域を広く支配した「美作菅家」の祖と云われる「菅原満佐」がモデルと云われ、頭を祀る三穂神社の境内には菅家の末裔の方によって建立された銅像があります。


頭は奈義町関本の「三穂神社」へ“こうべさま”として、右手は美作市右手の三社大明神は、かいな(腕や肩)は鳥取県智頭町の「河野神社」へ“にゃくいちさま”として、胴体は奈義町西原「杉神社」へ“あらせきさま”として足は奈義町高円の「諾神社」(なぎじんじゃ)へそれぞれ今も祀られています。


「美作菅氏」は、菅原道真で有名な菅原氏から派生した美作国の氏族。美作国勝田郡を中心に繁衍し、さまざまな支族を生んでいる。


菅原道真公と言うと、太宰府天満宮ですが、天神、天神様と言われていて、是善とその夫人・伴氏の3男として生まれ、幼名が「阿呼」とされていて、私のこれからのライトワークの為にお力を貸してくださっている神さまの一人です。(Wikipediaより)


三穂太郎伝説のライトワークの始まりの日。










諾神社の御祭神は、伊弉諾尊、天照大神、素戔嗚尊で、奈義の神、すなわち那岐山の神は伊弉諾尊の意味だそうです。

諾神社の社伝によれば、「那岐山の山頂、神尾峰に座していた那岐大明神であり、後世に南麓の不老の森に降ろされて諾神社と呼ぶようになった」と言われています。その後大正8年に現在の成松の地に遷座されています。

ちなみにイザナミノミコト(伊い弉ざ冉なみ尊)は、自衛隊演習場内ある宮内地区の不老の森の宮内神社(旧名 冉なみ神社)に祀られています。

そして、美作の国の勝田の植月には、「南朝 植月御所」について、下記のような文献があります。


暦応2年(1339年)8月16日後醍醐天皇が吉野で死し、以降約60年にわたり南
 北朝の間で権力闘争が続いたが、明徳3年(1392年)南朝は北朝に吸収される形で
 滅んだ。 しかし、その後も旧南朝勢力は抵抗勢力として吉野、美作等に存在した。
 末裔の中には美作の国植月に御所を置き、独自の天皇を建て美作後南朝として中央
 復帰を図った。 しかし、その夢かなうことなく宝永6年(1709年)九代の良懐親
 王で滅亡に至ったがこの事実は正史で認められることはない。

(.地方の知られざる歴史〜 -後南朝の滅亡と津山藩森家の取潰し-より転載)









七面大天女がいらっしゃいます。


七面大明神(しちめんだいみょうじん)は、七面天女とも呼ばれ日蓮宗系において法華経を守護するとされる女神。七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院で祀られるようになった。その本地は、山梨県南巨摩郡早川町にある標高1982mの七面山山頂にある寺(敬慎院)に祀られている神で、吉祥天とも弁財天ともいわれる。伝説によると、日蓮の弟子の日朗と南部實長公が登山して、永仁5年(1297年)9月19日(旧暦)朝に七面大明神を勧請したと言われている。(Wikipediaより転載)














愛と感謝を込めて


Mihoko