2012年4月に刊行された『旬遊』第36号の第1特集「日本料理 北岡三千男の世界」は、日本料理人や和食愛好家にとって実に興味深い内容だったろう。
僕も以前、友人に誘われて広島・白島の日本料理店〔喜多丘〕を訪問したことがある。
お店は住宅街の通りに面したマンションの地下。階段を下り店の玄関前に立つと、そこは周囲の喧騒と隔絶した風雅な空間だ。

格子戸、花、そしてすっきりとした白地の暖簾。
戸を開くと白木のカウンターがあり、カウンターの中ではご主人の北岡三千男さんをはじめ料理人たちが仕込みの真っ只中。
料理人たちの真剣さに思わず緊張感を覚えたが、すぐに着物姿の女性の笑顔に迎えられ、座敷に案内された。
当夜は秋の味覚を楽しむ宴だった。
先付けは生ウニと蟹のとんぶりと食用菊和え。染付(吹墨)の筒向付で供された。

続くは香茸、ひら茸を、胡麻や松の実が入った和え衣で和えたもの。渋い色調の柿の実を模した蓋物の器が、秋らしい季節感に溢れていて印象的だった。

目にも舌にも季節を感じる料理に、賀茂鶴蔵元限定の蔵出し原酒が進む。

続く椀物代わりの土瓶蒸しは、野趣あふれる焼締の器で供された。


具は鱧と松茸のみ。出汁に湯引きした鱧を入れて一度蒸しあげているので、鱧出汁のエッセンスが凝縮されて出ているとのこと。香りも味も文句なし。
そして目にも舌にも鮮やかな八寸。
左上の緑釉の葉皿から、茹でた車海老、いかの酒盗和え、求肥の昆布巻き、むかごと温度卵の味噌漬けを松の葉に差して。右上の黄釉の葉皿は、松風、サーモンの錦糸巻き、いくらのすだち釜。左下の柿釉の葉皿は、揚げ銀杏。右下は唐墨大根。

全てお酒にベストマッチな酒肴の数々だったが、中でも「松風」に心を鷲づかみにされた。
「松風」とは、鶏のひき肉に芥子の実を散らして焼き上げた料理。
和食の前菜やおせち料理で食べる機会が多いものだが、こんなに美味しい「松風」を食べたのは生まれて初めてだった。
美味しさは勿論のこと、舌触りの滑らかさ、歯触りが何ともいえなかった。
僕が今まで食べていた「松風」は一体何だったのか?強いカルチャーショックを感じ、心の底から驚きを感じた。
酒肴を全て頂き、食事が供されるまでの時間に北岡さんが座敷にいらっしゃった。
僕は北岡さんに質問した。「このような美味しい松風を頂いたのは初めてですが、特別な作り方をされているのでしょうか?」
北岡さんいわく「これはかなりややこしい話になるのですが・・・」
「松風」を調理する工程は予想以上に手が込んでいた。
例えば鶏肉は一度挽きと二度挽きの両方を用い、入れる順番やタイミングも明確に決めているとのこと。味わいだけでなく食感の心地よさも追求している。
修業時代に、料理の「松風」だけでなく京菓子の「松風」の味わいや手触りも確かめ、研究した成果だということだ。
前菜やおせち料理でありふれたものと思っていた「松風」。しかし、作り方次第で奇蹟のような旨さを産み出すことができるのか・・・。僕はただ感嘆するばかりだった。
北岡さんのお話を拝聴した後、食事を頂いた。土鍋炊きのご飯が美味しくて、我知らず三杯もおかわりしてしまった。

染付(吹墨)の小皿に美しく盛られた漬物が、また旨いのだ。

先述の『旬遊』の特集「日本料理 北岡三千男の世界」で、北岡さんは語る。「日本料理の格は『わんさし』で決まるといわれます」。「わんさし」とは、料理界の隠語で椀物(吸い物)と刺身のこと。
椀物と刺身は当然日本料理の勝負どころだが、その他の料理が「わんさし」より劣るという意味ではない。〔喜多丘〕の料理は、全てに手抜きなしだ。
「神は細部に宿る」といわれるが、コース料理のどこかにわずかでも瑕瑾があれば、流れがそこで滞る。そうすればコース全体の完成度が損なわれる。だから一流と呼ばれる料理人は、細部に妥協を許さず、素材や調理にこだわり、店のしつらえにこだわり、器にこだわる。茶道や華道を勉強する料理人が多いのも、料理に対する自らの感性を鍛えようとするからだろう。
広島市内に素材自慢、味自慢の和食店は数多い。
但し、華やかな盛り付け、調理技術の確かさ、器のコレクションなどを含めた総合力でいえば、やはり〔喜多丘〕が広島を代表する一軒だと思う。
(2012年4月4日執筆。「Web旬遊」初出)