しれっと復活お久しぶりです。

 

ふと振り返りまして、すでに30代なんだなと改めてしみじみ思ったところです。

 

男の心はいつまでも少年のままといいますが、ほんとにそう。

 

次は何して遊ぼうか、次は何に挑戦しようかなどあいも変わらず考えている私が居ます。

 

ですが悩む内容は世知辛く、年収の伸び悩み、会社でのコミュニケーションの悩み、未だパートナーが居ない悩みなどなど。

 

成人したてのころは、なんだかんだ年収500万を超え、人とのコミュニケーションは円滑に進み、身近もしくは意外なところで自然とパートナーに出会うものが自然なんだと考えていましたね💦

 

大きな怪我も病気もなく、比較的健康に生活をし、なるべく毛嫌いせず人と接してきたつもりでしたが、まぁ努力不足でしたかね。

 

すでに人生後半のような感覚で書いていますが、なかなかこの手の悩みを調べると殆どの人が陥ってるように見えてくる。

 

30代になって初めてこれが今の自然なんだと驚愕して絶望しているところであります。

 

そんなことを思いながら周囲を見渡してみるとおもしろいことに、世の中結構「他責」に満ちあふれている事に気づきました。

 

年収が低いのは政府のせい、コミュニケーションが測れなくなったのは会社のせい、パートナーが居ないのはSNSの普及のせいなどなど、ほぼ全て他責にし完結している。

 

他責は別に悪いことではない、原因を探れば自ずと選択肢としてあがるし自己完結するなら一番手っ取り早いのでそうなるのも理解できる。

 

だけど他責にした後どうするかが抜けている気がする。例えば年収が低いのは政府のせいとした時、そう訴えた後どうするかとなるが、訴えその相手にどうにか対処させようと期待する姿勢をよく見る。

 

何でもタイパを求める時代、問題を他責にした後自分で考え行動するよりその対処を相手に委ねたほうが断然コスパはいい。

そう考えての行動ならまだいい、が、そう考えてないのに反射的にそうしている人がほんとに多くなっている。

 

この流れは絶対良くない。SNSにより孤立化が進んだ要因としてこういう他責の単純化により、些細なことで他責として責任追及、もしくはそれを見ることにより他人を嫌煙するきっかけになっている。

 

何もかもにタイパを求める今どきの若い子を「ドパガキ」と評していたのに、いつの間にかタイパを求める人と対象が広く成っているように、世の中は薄々とこの違和感に気づき始めている。

 

「ことを急いては仕損じる」。

違和感を違和感のままにしてしまった場合、世の人たちがミクロ単位でこのようなミスをし続け、クリティカルなミスに成ってしまわないか、まだまだ若輩である私はヒヤヒヤと静観しています。

 

これを読んだきっかけで少し他責について見直してみてはいかがでしょう。

 

ではまた気になることがあればちまちまアップしていきます。

久しぶりの投稿!

 

早速ですが「不気味の谷現象」についておもしろい情報を見つけました。

Youtubeで「Rの住人 ピエロ」さんという方が取り上げていたものなのです。

 

 

不気味の谷現象とは

創作された人(主に顔)のクオリティやディティールが、ある一定値に達すると嫌悪感や恐怖感を感じてしまうというもの。

 

ピエロさんが仰ってたのは、人が何故「不気味の谷」という現象を身につけたかというと。

 

人であるが人とは明らかに違う何かを察知する能力

人と違う何かとはスピリチュアル的なものではなく、人=健康or健全のことであり、

病気や怪我、精神状態による顔の形や人相の以上を察知する能力とのこと。

 

人は太古より外部の捕食者よりも内部で発生する「異常個体」、つまりは人が一番恐れる存在は同じヒトである。

 

これを聞いた時、この現象についてめちゃくちゃ腑に落ちました。

 

確かにこの現象はヒトのようなものに対してしか発生しない。

ここで自分の中でつながったおもしろいものとして、ヒトのような動物に対してもこの現象が発生しているのではと考えさせられました。明らかに人ではないがヒトのような存在として、「人面◯」という妖怪や心霊の類。

 

人はヒトを装うモノに対して明らかな敵意、もしくは脅威を本能的に感じ取る。

 

こういうふうに文章化すると、スピリチュアルやSFに近しい物を感じられるが本能として人に備わっていると、自分自身強く感じることができるので確かであろう。

 

私たちは面白半分で見つけたこの「本能」、事件が多くなってきた昨今、この「本能」を活かし、明らかに「人ではないヒト」をいち早く見つける必要がある。刺激せぬよううまく受け流し回避できる能力は、これから必ず必要になってくるに違いない。

どもどもご無沙汰です。

 

度重なるトラブル?によりブログ更新ができる状態じゃ無かったですが今日から復活です!

 

復活ついでにまた気になるものについて書いていきます。

 

子供の時悪夢にまでなった映画「ジュラシック・パーク」。

 

とある島で太古の生物である恐竜を蘇らせそれを研究、収益を目論んだところ恐竜たちが逃げ出し野生化、施設を確認すべく研究者と特殊部隊が島に乗り込むも恐竜たちの本能に圧倒され逃げ惑う恐竜パニックホラー。

 

という認識でした。

 

現実の話、近年では「恐竜には羽が生えていた」や「肌の色はもっと派手だったはず」という発見が当たり前になり、ジュラシック・パークやジュラシック・ワールドのような映画はもはや古代生物ホラーではなく、エイリアンやプレデターのような非現実的生物ホラーになりました。あの発表があった時、私はロマンが潰えたと感じましたね。

 

そんな映画ですが、この「恐竜に羽が生えていた」という事実に対しどのように表現していくのか非常に興味がありました。

 

ジュラシック・ワールドを見ましたが、もちろん羽は無し。いいでしょう、許します。今更羽毛なんて生やしても怖さがないからしょうがないです。興行収入を守るのも映画は大事です。ですが、明らかに変わっていたのが恐竜側の知性が犬寄りになっていたこと。目をあわせ、尻尾や声色で感情を表し、褒めたら喜び、笛や餌付けで指示を聞く。犬ですねこれは。

 

しかも色々な恐竜のDNAをかけ合わせたスーパー恐竜が暴れまわるという幼稚設定。

まぁアメリカの映画は「家族」が映るものはもれなく子供向けらしいのでしょうがないですが。

 

こちらもなんとか飲み込みます。ですが恐竜たちが人?飼い主?を助けるかのように空気を読んでスーパー恐竜をTレックスとラプトルが協力するシーン。恐竜と人間の間でいいつながりを感じさせるものでした。

 

いやいや恐竜は自由で身勝手、食いたいときに食い寝るときは寝る。縄張りを侵されれば怒り狂い圧倒的な質量で襲いかかるものでしょう!?

 

なーに友情っぽい雰囲気だしちゃってるのー!

 

って思っているさなかに次の作品「~炎の王国~」、もうこれに関しては恐竜じゃなくてサバンナの動物たちでも良かったんじゃないかと思うレベル。

 

まだ見てないけど広告動画で「~新たなる支配者~」見ました。

またもスーパー恐竜を作ろうとして失敗、手が四本、顔が未熟で鼻がなく奇形の…恐竜???

 

もうこれ恐竜からかけ離れて怪獣、パシフィック・リムですね、はい。

 

ロマンが潰えた時点で伝説として幕を閉じ、新たな路線として始めておけばここまでの不満はなかったのに、な~んで続けちゃったかなぁ。

 

作品が続くのは必ずしもブラッシュアップされないとわかるある意味いい資料ではないかと思った今日でした。

 

もしかしたら今のジュラシック・ワールドのほうが好きという方にとっては面白くない内容だったと思います。まぁ昔のと比べるとそうだよね、比べるからだめでしょ、そもそも同一視があかん等の意見あると思いますが、私のイチ感想としていただけると幸いです。

 

共感得た方、いいねやコメントいただけると嬉しいなぁ