仮面舞踏会&トスカ | Commentarii de AKB Ameba版

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 また寄り道です。

 仮面舞踏会&トスカ@東京文化会館 by トリノ王立歌劇場

 12月4日5日2日連チャンでオペラ。どちらも東京文化会館。
 ちょっとお腹いっぱい。
 トリノ王立歌劇場は3年ぶり。前回は2010年7月、「ラ・ボエーム」で、ムゼッタをモリマキが演ってましたっけ。

 12月4日「仮面舞踏会」。
 舞台はイギリス植民地時代のボストン。イギリスの植民地総督が部下で親友の奥さんに懸想して、愛だ神だ血だ復讐だなんだかんだ。ヴェルディ先生おなじみ、死にそうな人の大声のアリアがあって、「あああ死んじゃった-」で終わるヤツ。
 お前らもちょっとマジメに政治とかやれよとか思うんだけど、イタリアオペラって、結局色恋沙汰の次元でモノゴトが進むのね。
 でも案外政治ってそういうもんかも。
 政治といったら、最近ちょっと出番の多い小泉純一郎元総理大臣がおられました。知り合いでもなんでもないけど思わず黙礼。
 舞台装置はちょっと貧弱で、第三幕以外は(超金持ち学校の)学園祭に毛が生えたくらいのモンでした。
 「ラ・ボエーム」はよかったのになあ。
  
 12月5日「トスカ」。
 舞台はナポレオン戦争時代のローマ。ローマの警視総監が政治犯の友だちの彼女に懸想して、愛だ拷問だ戦争だだ一発やらせろって言ったら殺されちゃって、政治犯の友だちは撃ち殺されて、彼女は飛び降り自殺。さすがに飛び降り中に歌うことはなかったが。
 まあオペラなんてぶっちゃけるとこんな話ばっか。
 話は陰鬱なんだが、別段それで暗い気分になることはないのが救い。
 タイトルロールのパトリシア・ラセットは凄かった。二つ名を「世界最高の“歌う女優”」というそうだが、確かに"Vissi d'arte"は名演だった。
  
 そうそう、しょっちゅう見かける「オペラ座の怪紳士」は二晩とも最前列にいました。
 
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 ここんとこ乃木坂の生田絵梨花がピアノ弾き語りで歌う「君の名は希望」をずっと聞いてます。
 「バレッタ」の特典映像で佐久間正英がプロデュースしたやつ。
 以前からいい歌だなとは思ってたんですが、何かが違う感じがしていました。
 でも生田弾き語りはすっと心にしみ込んできます。

 乃木坂で知ってたのは生駒白石(かわいい方の)松村くらい。
 生田のことは知りませんでした。
 生田と佐久間の関係も、彼の病気のことも。
 
 生田、とても素直で心地いい声です。でもとりたててうまい訳ではありません。声量は不安定だし音程を取り切れてないところもちょっとありました。そもそも彼女の音域にには少し低い曲のようです。

 それでも。
 そう、この曲は、こう歌われるべきだったんだ。
 ちょっとだけ泣きました。

 オリジナルの何が違ったのだろう。
 何度も聞き比べ考えました。

 この曲の主人公は、「透明人間」とあだ名されるような少年でした。
 周りの人たちから無視され、彼もまた周りの人たちと関わろうとはしない。
 だって、足下にボールが転がって来て、それに気づいても無視するんですよ。ボールを拾って返す、それだけのことが出来ない。それくらい世界との関わりを絶っている。
 完全に「コミュ障」ですよね。
 少年にどんなことがあったのかはわかりません。
 
 ただ不思議と悲惨な感じはしない。
 少年に深く傷ついた体験があったとか、何かが決定的に欠落しているとか、そういうことではなく、なぜかただ淡々と「セカイ」から自分を隔絶してそこで安らいでいる感じ。

 そこに現れた彼女が全てを変えます。
 大したことはしていません。ただ、少年がボールを拾って投げ返すのをじっと待ってた。
 恐らく微笑みながら。
 たったそれだけ。

 それをきっかけに少年は変わります。
 彼を変えたのは彼女の力ではありません。それは少年がもともと持っていたもの。

  こんなに誰かが恋しくなる/自分がいるなんて
  想像もできなかったこと

 ただ少女は、ちょっとした仕草と微笑みを与えただけ。
 
 ただそれだけのことでした。 
 その瞬間に少年は恋に落ち、「セカイ」に復帰します。
 そこは美しい。
 でも決してそれだけではない。
 悲しみの雨や空しさや切ない思いの溢れている場所です。
 そうか、彼はそれが怖かったんだ。だからちょっとだけ離れていたんだ。

 でも大人になるってことは、そういうことなんだよ。ちょっとだけ似た経験のあるおじさんは、少年の肩をぽんぽんと叩いてあげたくなります。そんな経験の無い大人は、一人もいないんだよ。
  
 恐らく少年の恋は実らないでしょう。遠くから眺めているだけで終わってしまうんでしょう。
 でもそれでもいいんです。その恋は彼が「セカイ」に戻った証なんだから。

 ということで、この曲が語るのは、人生の一時期のごくごくささやかで、はかない物語です。
 気恥ずかしくて決して人前で大きな声で語られるようなものではありません。
 ましてや大人数が堂々と高らかに歌ったりするのを少年が聞いたら、顔を真っ赤にしてまた逃げ出しちゃうよね。
 
 だからこの曲は、こう歌われるべきだったんです。
 素直で少し未完成な少女の声で。

 聞く方もそうです。決して大音量で聞いちゃいけません。
 部屋を暗くして、ひとりで。
 自分の中の、かつてそこにいた臆病で未熟で、でも誰かを愛したくて仕方なかった自分に向かってそっと。
 
 セッションが終わり、最後に生田が佐久間に対して「また、いつか」と言います。

 佐久間が、そして誰もがその「いつか」が来ないかもしれないことを知っています。
 でもそんなことは少女にとって大したことではありません。
 なぜなら希望とは明日の空のことだから。
 今日植えるリンゴの木のことだから。
 
 だから佐久間はためらうことなく少年のように「はい」と答えました。
 足元に転がって来たボールを投げ返すように。
 希望に向かって。

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 2014年1月21日追記
 
 昨夜、佐久間正英氏永眠の知らせが入った。
 生田の「いつか」はとうとうやって来なかった。
 と思ったらそうでもなかった。
 生田が正月番組で弾いた「そばかす」、正英オジサマのプロデュースじゃないですか。
 病床のオジサマは、絵梨花ちゃんのピアノを聴いたかな。
 てっぺんにはならなかったけど、楽しい明るい、聞いてて生きてることが嬉しくなるような演奏だった。
 そうか、生田はこうやって、何度でもオジサマと一緒に音楽を作り続けることが出来るんだな。

   未来はいつだって/新たなときめきと出会いの場

 たとえ身が滅んでも、その魂には何度でも出会うことが出来るんだ。