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「MARIA」をずっと見て来て、たどりついた、大堀恵。
梅田の代役に立つにあたっての事情を、大堀恵自身が語った映像が残っている(マックウインさん情報ありがとう)。
「そのマリアって曲は凄く梅ちゃんは愛してたわけよ
もーレッスンのときから分かったの、
もうレコーディングのときから知ってたの 」
「大泣きしながらめーたんだから託すって言って
よろしくねって言われた時の
あの時の目は本当に力強くてだけど
梅ちゃんのファンの方にも失礼だなって
あたしなんかで申し訳ないって気持ちもあった」
自著「最下層アイドル」の中でも大堀は同様のエピソードを語っている。
梅田からこの曲を託された大堀恵は、計64回行われたK3公演のほとんどで「MARIA」の舞台に立った(彼女が故障した時、「MARIA」は残りの2人だけで歌われた)。AKB初の全国ツアーでも、梅田の故郷福岡での公演以外では、大堀恵が「MARIA」を演り続けた。
ド新規の僕らが知っている「MARIA」は増田、梅田、河西の3人の歌だ。それが全く自明なことだと思って疑わない。でも当時K3を生で見続けていた人たちにしてみれば、大堀が歌っている「MARIA」の方がむしろ身近であったのかも知れない。
そして千秋楽。2007年6月22日。
その日、誰が「MARIA」の舞台に上がるべきか。演じる側にも、見る側にも恐らく葛藤があったろう。
オリジナルのメンバーである梅田か。
梅田不在の舞台を守り通した大堀か。
梅田の故障は完治していなかった。完治どころか、この後梅田が公演の舞台に継続的に上がることが出来るようになるまで約1年の歳月が必要だった。
パフォーマンスの質と梅田の足のことを考えたら、大堀恵が演じるのが妥当だっただろう。
しかし。
僕らは今日、見事に復活を遂げた梅田を知っている。でも当時の状況を思えば、この「MARIA」が梅田にとっての最後の舞台になっていても不思議は無かった。
梅田が愛した「MARIA」。
特別な日。
ひょっとしたら「次」は無いかもしれないステージ。
K3千秋楽のその日、その舞台に立ったのは梅田彩佳だった。
その10日前の6月12日、大堀恵の「MARIA」はひっそりと一足先の千秋楽を迎えていた。◆5曲目「MARIA」(増田、梅田、河西)
梅ちゃん出演。ただしダンスは完全ではなく、5割程度といったところであろうか。
ここまでやってきためーたんファンには悪いとは思うが、出演したことに意味があったと思う。
バトンを渡しためーたんは大人だと思った。
おそらくは誰にも気づかれることなく。ひょっとしたら大堀恵自身もそうだとはわからないまま。
その日以来彼女が「MARIA」の舞台に立ったという記録を、僕は見つけることはできない。
いったい、大堀恵自身は、「MARIA」という曲についてどう思っていたのだろう。
彼女の言葉はいつも梅田を気遣っていた。
いわく「梅ちゃんから託された」。いわく「梅ちゃんがどれだけこの曲を愛していたか、私は知っていた」。いわく「梅ちゃんのファンに申し訳ない」。
でもめーたん、あなた自身はどうだったの?
「MARIA」という、これから先もずっと歌い継がれていくであろう名曲を支えたのは、間違いなくあなただったんだよね?
「MARIA」は間違いなく、あなたの歌でもあったんでしょ?
千秋楽のあの日のあの舞台に、あなたは立ちたくはなかったの?
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2009年1月8日、大堀恵は自分のブログで「今日は私に関する質問ならなんでもお答え致します」と言ってコメントを募った。〆切りの時間までに寄せられた質問は全部で338問、その全てに彼女は回答した(ちなみに同じ年のバレンタインデーにも大堀恵は「全てのコメントに返事をする」、という企画を行った。新聞で報道されたこともあって2670通ものコメントが寄せられた。実を言うと、ここのところ僕はずっとその返事を読んでたんだ)。
大堀は短いながら全ての質問に律儀に答えていた。
いちいち質問と答えを照らし合わすのは大変だったよ。
その中に出くわしたひとつの質問。
「Kの公演で一番おもでに残ってる曲わ?(原文ママ)」。質問ナンバー257。
当時すでにひまわり組の2公演は終了し、K4「最終ベルが鳴る」の真っ最中。K4公演では多少色物の匂いが強いが、大堀はインパクト抜群の「おしめし」を歌っていた。さらにはこれまた色物臭は否めないものの、まごうことないAKB初のソロデビュー曲「甘い股関節」を発表、1万枚の売り上げを達成していた。
という状況での質問。
「Kの公演で一番思い出に残っている曲は?」
回答の257番にたった一言「MARIA」の文字を見つけた時、僕は涙が止まらなかったぞ。
めーたん。