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以前にも書いたが、会ったこともない「誰か」のために、人は時に命すらかけることがある。誰かのために/人は生きてる
私に何が/できるのでしょう?
どんな犬でも仔犬がいじめられたら吠えるだろう。カラスは仲間を傷つけた人の顔を覚えて付け狙い、復讐の機会をうかがうという(ホントかね)。
でも親族や知人のためではなく、見たこともない「知らない誰か」のために何かをする、というのは人間だけ。これこそ人間らしい行いと言っていいと思う。
もっともこれが常にいい方向に働くかというと、そうでもない。
見たこともない抽象的な「国民のため」「祖国のため」「民族のため」「王様のため」「主義主張のため」「神様のため」、果てしない殺しあいをするのも、これまた人間だけ。兵隊さんはテッポウを撃ったりバクダンを落とす相手のことを別に恨んでるわけじゃないもんね。
見知らぬ人を助けるのも、恨んでもいない人を殺すのも、どちらもとっても「人間らしい」行い。まあできるなら助ける方向で人間らしさを発揮したいものです。
で、「誰かのために」。
この曲が震災に対するAKBのキャンペーンソングに選ばれた時、「秋元は地震が来るのを予知してたんじゃないか」という言いがかりめいた話も出たんだって(うーん、ソース失念 追記:ソースっていうか、そういう趣旨の記事&コメントはありました。僕これを読んだんだな、多分)。でもまあそれくらいこの曲は災害直後の状況にフィットしていたというわけだ。遠く離れた見知らぬ人の苦境を思い、自分に何ができるかを問うことをテーマにした歌だもんね。
でももちろん、秋元が地震のような天災を予知していたわけじゃない。彼がこの曲で想定していたのは、人災。要するに戦争。
作曲は井上ヨシマサ。公演フィナーレにエース投入だ。
曲の構成は、第1スタンザがAメロ(神様は…)Bメロ(私が生まれた日から…)サビ(誰かのために…)。
間奏後の第2スタンザはAメロBメロサビサビ間奏サビと、サビを3回繰り返す。フツウはここでお終いなのだが、この曲ではこの後おまけの終結部(コーダ)が1節入っている。
ちなみにここの歌い終わりのコードはたぶんB7。主音Eの曲だからVの和音のセブンス、つまりドミナントセブン。
こっからトニック(E)に行って解決するとすっきりするんだけど、B7で終わられちゃうと、気分は放り出されたまんま(この辺中学の音楽で習って以来だ。理屈こねたくてちょっと勉強し直しました。トニック解決って言いたかっただけですサーセン)。
恐らくアレだね、秋元先生、ヨシマサ兄ィにワガママ言ってひとふし付け加えて貰ったね。
「何か、歌が続くような感じの終わりのメロディ頂戴よ」って。
よほど言いたいことがあったわけだ。
で、このコーダにいわく
「世界からすべての争いが消えてひとつになるまで」。世界からすべての/争いが消えて
ひとつになるまで/私は歌おう
秋元センセイ、ずいぶん唐突に、ずいぶん大きなこと言い出したなあ。
だってこの歌のこの部分に差し掛かるまで、「争い」なんて言葉も、それを連想させるような表現も、なーんにもなかったんだもん。
それどころか、ここまで見てきたAKBのステージソング(公演曲のことなんだけど、なんか、こういう言い方が最近公式になったのね)のどれにも世界レベルの「争い」、要するに戦争について歌った曲はいっこもなかった。
ちょっと昔だったら、「反戦歌」と呼ばれたかも知れないね。
ええええ?
秋元康が反戦歌?
うん。秋元康が反戦歌、だ。