ふしだらな夏 | Commentarii de AKB Ameba版

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Tags:B1、恋、desire、季(夏)

 タイトルだけで一発OKって曲があるよね。
 たとえば「星の温度」。片想いをしている女の子の、外からはわからない内に秘めた激しさを、一言で表現して余りがない。お見事。

 K2ではこれ。「ふしだらな夏」。「ふしだら」。最近あんまし使わない言葉で、聞く者が耳をそばだててしまわずにはいられない。
 
 年増の生活指導の先生が、生徒の行状を見てつい口走ってしまいそうな言葉。
 「まあ、なんてふしだらなんでしょう!」。
 でも生徒を非難する先生の声にもじっとりとした汗がまじる。
 暑さのせいだけではなく、生徒の言動を見ているうちに、とっくの昔に飼い慣らしたと思い込んでいた自分のなかの「欲望」が頭をもたげていることに気づいてうろたえる汗。

 そんな大人を横目で見ながら、未成年の少女たちは夏を待ち焦がれる。ふしだらな夏を。

 タイトルはうまいんだけど、この歌い出しはちょっとピントが定まらない感じ。

ふしだらな夏が来る/灼熱の太陽 連れ
そのすべて燃やすように/愛しさを加速させる

 「愛しさを加速させる」では「ふしだら」さが際立たないよね。「ふしだら」って言うと、不特定多数を対象とした恋愛を思い浮かべちゃうのに対し、「愛しさ」はちょっと一途な感じ、一人の人に注ぐ愛情の印象が強い。放縦さ、奔放さが薄れちゃうよね。
 
 「リオの革命」もそんな感じだった。あれもちょっとふしだらな感じで歌いだすんだけど、でも解放しきれないで終っちゃっていた。自由恋愛のへたれっていうか。

 これが秋元康のいっぱいいっぱいなのか、それともAKB仕様なのか。
 まあAKBの世界観だと「言うだけ言うだけ見栄っ張り」がメインストリームであるのは事実だが。
 ホントにふしだらな女の子は、ヲタ諸君の支持を得ることはできないし。

 それはそうと、ホントは夏に「ふしだら」も「品行方正」もへったくれも無いよね。その季節に触発されて「ふしだら」になってしまう少女たちがいるだけなんだもん。

 それをまるで「夏」に責任転嫁しているような言い方。

 理性ではどうにもできない、自分でも手に負えない本能の有り様を、ちょっとネガティブ(つまりは自分でもイケナイってわかっている、なにしろ未成年なんだし)に表現して、かつ「ふしだらですけど何か?」と開き直ってもいる。

 ところでこの歌、アン・ルイスが歌った名曲、「ラ・セゾン」を思い出させる。

La Saison d'amour
言い訳台詞は必要ないわ

 こちらは「La Saison d'amour」(直訳すれば「愛の季節」、要するに発情期)に責任転嫁する歌なのだが、「ふしだらな夏」の後ろめたさがちょっと少ないかな。

 人間もヒトという動物の一種であるからには、種族繁栄のための生殖本能が働く。特定の発情期がないかわりに、年中発情期であるとも言える。
 若いころの恋心のほとんどが、要は性的衝動のあらわれなわけだ。でもそこに非動物的な、というか人間的な「愛」が絡むからおもしろい。時に美しく、時に愚かしい愛。

 余談だがこの曲って作詞「三浦百恵」だったんだねえ。
 三浦百恵、旧姓山口百恵こそ秋元康にとっていわば「アイドルの原点」だった。
 秋元が「目撃」ことはできたけど、「会う」ことはできなかった、永遠の片恋の相手。
 山口百恵というと、やっぱりこの歌

あなたに女の子の一番/大切なものをあげるわ

 「ひと夏の経験」が18歳、思春期の秋元康少年のハートをどう撃ち抜いたのか。

 おっと、タイトルだけでお腹いっぱいになっちゃった。