青空片想い | Commentarii de AKB Ameba版

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Tag:片想い、「僕」の歌

 一昨日に続いてSKEの曲について。2枚目のシングル。

 秋元康は、時折ものすごく消極的または絶望的な片想いを歌にすることがある。最初っから成就することを諦めているような片恋の歌。
 たとえば「君のことが好きだから」。

愛とは返事を/求めない声さ
一方的に贈るもの

 であり、「僕」は

君のことを思う度/僕は神に感謝してるよ
振り向いてくれるのは/永遠の先

 で満足しちゃっているのである。
 
 この、「青空片想い」もそんな曲。

 PVはビルの屋上の、高いステージ。空からヘリが舐めるようにフライパス。空撮もカッコイイぞ。
 サウンドはバスドラがドン・ドン・ドン・ドンと強めに刻んで、いかに「これでどうだーヲタどもーミックス打てよ-!」ってなイントロで、かつダンスもSKEらしくアクティブで、松井Jはいつもどおりコマ落としダンスだ。

 でも詞は、というと

青空片想い/僕は君の空になりたい
見守っていること/気づかなくていいよ

 とあくまでも消極的・絶望的なのだ。
 
 何も知らなくてこの歌詞だけを読んだら、普通はフォーク調で少し寂しさを湛えたメロディーが浮かんでくるよねえ。タイトルの連想発作曲者経由でたどり着くとしたら、こんなイメージだろふつう。
 でもあの曲。あのダンス。

 もちろん秋元康が作曲するわけではないが、曲のコンセプトは全て秋元のコントロール下にあるわけだから、この詞とのミスマッチも計算の上のはず。

 何考えてんだろ、このおっさん。そう思うことしばしばである。

 言い訳Maybeのところでも言及したのだけれど、秋元自身はちょっと「こっちがわ」の人間の匂いがするんだよね。「こっちがわ」ってのはちょっとヲタで、少なくとも思春期にはせつない恋の経験をきちんとした人のチーム。
 あ、もう少しぶっちゃけると、今風に言うと、非モテ系ね。うん。知識や才能はあるんだけど、女の子の前に出ると萎縮して何も言えなくなるような。

 それくらい秋元の「僕」を主人公とした片想いの歌には、リアリティーと切なさと説得力がある。
 ふだんの、ポジティブに前向きに積極的にの説教よりも、はるかにしっくりくる。 

 こういう「かなわない片想い」を、明るく楽しく力強く歌っている彼女たちは、決して詞の心を体感しているわけではない。彼女たちには彼女たちなりの苦しさ、つらさはあるだろうが、それは片想いのそれとは異質なものだ。そこには絶望的な断絶が横たわっている。

 しかしそれでも彼女たちは、その断絶を越えようと一生懸命、「こっちがわ」の人たちに手を差し出す。意味はわからなくとも、そう振る舞うように秋元Pは要求する。もちろん「こっちがわ」ではその手は決してつかむことはできない幻想、フィクションの手だということは、わかっているのだけれども。
 それでもその手は、僕らが(あ、一人称使っちゃったよ)、かつて心の底から憧れた手にそっくりなのだ。
 
 かくして、今日も「チームこっちがわ」のハートは鷲づかみというわけだ。