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雑文と音楽

思いつきの散文や好きな音楽を

 

 5月の定例コンサートが始まった。

 優斗にとっては、一年振りの出演である。1年生の時は、結局、1回きりだった。あれから、魔が差して応援団に入ってしまい、なんだかんだと団の活動に忙しい時期を過ごしてきた。いろいろあったが、既にいい“想い出”になっている。

 一応、同好会には籍を置いて毎月の会費を納めていたので、胸を張って出演できる。2年生になると持ち時間が20分与えられていた。優斗は、RCサクセションの曲から4曲選んで今日まで練習してきた。念願のオリジナル曲は依然としてできないでいた。

 RCは、まだマイナーだから知る人は少ないだろう。失敗してもおそらくわからないのではないかと高を括っていた。

 1年生の初出演の時とはだいぶ違って、今回は思いのほか緊張感がない。応援団時代に人前で演技をしてきた経験からなのかもしれない。前より声量が上がり、声もでるようになった。これも応援団で鍛えた賜物だろう。応援団の経験も満更ではなかったか。

 

 照明が落とされた。一年前と同じようにギターと譜面をもってマイクの前に立つ。スポットライトのせいで、やはり客席が見えない。

「きゃあ、優斗く~ん!頑張って!」

 突然、暗い客席から大きな掛け声とともにパチパチパチと疎らな拍手がした。声の主は男である。すぐに沼田浩美であることがわかった。

「おい、お前らも応援しろよ!」

 沼田が周りの生徒を脅かす。

「応援ありがとう!」「でも、拍手は強要しないように」

 優斗がそういうと会場から笑いが起こった。

「あ、前の方に座ってる人は、唾が飛ぶかもしれないので気をつけてくださいね」

 さらに大きな笑いが起こった。“掴み”はバッチリだ。

 いきなり、ギターをかき鳴らすと“2時間35分”を歌い出した。彼女と2時間35分も長電話したという至って意味のない曲だが観客には新鮮に聴こえていた。誰も聴いたことのない、誰も知らない曲だ。

 優斗は、歌い終ってももったいぶって誰の曲とだとは言わない。ただ、曲名を紹介するのに留めた。

 

 4曲しか用意してなかったため、20分の持ち時間を持たせるのにはやはりMCも挟む必要があった。優斗は、あらかじめ考えてきたネタをいくつか披露するとそこそこ受けたのですっかり気をよくした。

 2曲目は、“九月になったのに”を考えていた。5月だけれど、まだ残暑の残る蒸し暑い9月の初旬を思い出す。理由のわからない焦燥感や彼女への想いを込めたような歌詞とメロディが刺さる曲だ。「あいかわらず~だね~」の部分には一段と力を込めて歌った。

 3曲目は、“あの歌が思い出せない”を歌う予定だった。この曲も優斗は大好きだった。すると、

「三番目を歌ってよ!」

 沼田が突然叫んだのだ。

「あ、先に言わないでよ。最後に歌おうと思っていたんだから」

 会場が笑いとともに少しざわつく。

「もう少し待ってね」

 優斗は、イントロのコード・ストロークを始める。“この街角~一人で~”物悲しげな感情を込めて歌い出す。清志郎よりもゆっくり目に歌う。

 歌いながら優斗はこの1年のことを思い浮かべていた。

 

 思えば、それまでクラスのリーダー的存在だったのにこの高校に入ってからは劣等生で目立たない存在になっていた。応援団に入ったのは、目立ちたかったからなのかもしれない。フォークソングを歌っているだけでも充分だったはずなのに、何かもの足りなかった。

 応援団活動は辛かった。自分でも一生懸命やってきたつもりだが、それは誰にもわからない。今思えば、誰かに認めて欲しかったのかもしれない。結局、喉を潰して、体調も崩した挙句に学業もおろそかになって進級も危ぶまれた。大変な一年だったな。

 それが今はどうだ。自分の好きな歌を歌うだけで真剣に聴いてくれる人がいる。くだらないMCに笑ってくれる人がいる。今だけは、ここいる人だけは、自分だけを見ていてくれる。そうなんだ、もともと自分はこうであったはずなんだ。

 優斗はちっぽけな感傷とともに、えも言えぬ高揚感に包まれていったのである。

 

 

 

 

 

 さて、本日取り上げるアルバムは、JANIS JOPLINの『I GOT DEM OL’ KOZMIC BLUES AGAIN MAMA!』(1969年)である。

 

 

 

 

 ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーを脱退し、コズミック・ブルース・バンドを結成してレコーディングしたアルバムである。

 

 前作『Cheap Thrills』(1968年)で成功を収めたジャニスだが、前2作ともBBHC名義だったため、このアルバムが実質彼女のファースト・アルバムになるのかもしれない。

 

 コズミック・ブルース・バンドはブラスも入れた7人編成でメンバーは安定していなかったようだ。その後、このバンドも解散して、新たにザ・フル・ティルト・ブギー・バンドを結成してあの名作『Pearl 』(1971年)のレコーディングへと向かっていくのである。

 

 ジャニスの最後を知ってしまっているせいか、この時期、どこか自らの死へと突き進んでいるように思え、ジャニスの歌を聴いていると悲しみを禁じ得ない。

 

Janis Joplin - Kozmic Blues (Official Audio) - YouTube

 

Janis Joplin- Try (Live at Woodstock, 1969) - YouTube