静岡県の認定こども園の送迎バスの中に3歳の園児が置きざりにされ、亡くなった。
まだ、最近同じような事故が起きたばかりなのにどうして防ぐことができなかったのか、悲しく痛ましく、可哀そうでならない。
理事長の会見は一部しか見ることができなかったが、まるで他人事のような態度で反省や責任感が微塵も感じられなかった。
廃園が話題に上ったときに「廃園かもしれないな」とぽつりとつぶやきながら笑ってさえいたのだ。
自嘲気味とはいえ、あの場で歯を見せる無神経さには、腹立たしく憤りを感じた。
報道によれば、その日、臨時的に運転をしていた理事長だけではなく、同乗していた補助員、出欠アプリを確認しながら保護者への連絡を怠った副園長や担任全員の緊張感の欠落、あたりまえのことをきちっとやってさえいれば防ぐことができた事故であって、しかも数回も防ぐチャンスがあったにも関わらずだから、非常に悔しい。
このような事件はあってはならないことであるが、送迎バスに限らず、赤ちゃんを車に置いたままパチンコに興じていて死なせてしまったという事件も過去に何回も耳にしてきた。
私も、数年前、近くのショッピング・モールの駐車場で子どもを車に置き去りにして買物をしていた母親に遭遇したことがあった。
真夏だったか忘れたが、とにかく暑い日で、車から降りた私が子どもの鳴き声に気づいて周辺を探したところ、閉じ込められた車の中で大汗をかきながら泣き叫ぶ子どもを発見したのだった。
たまたま通りかかったモールのスタッフに呼び出しをお願いしたり、そのうち寄ってきた数人の方と窓を割ろうかとまで考えた。
目の前に助けを求めている子どもがいるのにどうすることもできないもどかしさ。
そうこうしているうちに通報した消防自動車が到着すると、ようやく呼び出しに気づいた若い母親が帰ってきたが、焦る様子もなく、むしろ迷惑そうな顔をしながら「寝てたんで」と言い訳を言うだけだった。
その態度に腹を立てた人が「寝てたからじゃねえよ!こんな暑い中、何してたんだ。子どもが死んじゃってもいいのか!」などと怒鳴りつけていた。
私も同感だった。
おそらく、その母親が平然としていたのは、いつもそうしているんだろうなと思った。
こういった安易な考えからも事故が起こるのである。
起きてしまってからでは取り返しがつかないことを子を持つ親はもっと自覚すべきである。
その幼稚園も「命を預かっている」という認識を職員一人一人が持っていればこんなことにはならかったはずなのに、ほんとに悔やまれる事件である。
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突然のスガシカオ
最近の動向は知らない。
7枚目のアルバム『PARADE』(2006年)をリアルタイムで聴いていて、ライブにも何回か足を運んだ。
その頃が自分の中ではピークだったようだ。
その後のアルバム『FUNKAHOLiC』(2008年)あたりから興味も半減して、段々聴かなくなってしまった。
やはり、作品としてはそれまでのものが好きだ。
とりわけ、『Sugarless』(2001年)が気に入っている。
どうやら、このアルバム、それまでのシングルのカップリング曲や未発表曲を集めたコンピレーション・アルバムらしく、オリコンアルバムチャート初登場1位を唯一獲得した作品らしい。
彼が作詞し、スマップが大ヒットさせた「夜空のムコウ」も自らカヴァーしている。
中でも好きな曲、「ユビキリ」はそのひとつである。
森高千里に提供した「まひるの星」という曲の歌詞を差し替えたものらしいが、森高版は聴いたことがない。
「夏祭り」や「坂の途中」は、シングルのカップリング曲である。
テンポのいいファンクが好きみたいであるが、こういう緩やかなテンポで、けだるく歌う歌も彼の真骨頂だと思っている。
「Room201」も同様な雰囲気の曲であるが、これは新曲。
スガシーの書く詞は独特で、気取った言葉ではなく、どちらかと言えば4畳半的なイメージの表現(上手く言えないけれど)で、不格好な自分をさらけ出すような歌詞や男の本音を、憂いを帯びたメロディにのせるのがとても上手いような気がする。
「8月のセレナーデ」も新曲でアルバム初収録
声もハスキーで個性的で好きだ。
「これから むかえにいくよ」は、カップリング曲。
得意のファンクっぽい曲で、アルバムにアクセントをつけている。
なんて、いろいろ書いてたら、また初めから聴きたくなってきた。