子どもの頃、3歳下の子を含む学年の違う近所の子たち数人とよく遊んでいた時期があった。
ある雨の日、近所の子を誘ってその3歳下の子の家に遊びに行った。
外で遊べないからと、家の中で遊ぶことになった。
二間続きの和室でゴムボールを投げたり、蹴ったりして、きゃっきゃと笑いながら遊んでいると、誰かの蹴ったボールが和室に飾ってあった額縁にあたって、落ちてガラスが割れてしまった。
すると、その音を聴きつけて、その子の母親がびっくりした顔で飛んできた。
当然、叱られると覚悟していると、予想に反して言われたのは、「大丈夫?怪我しなかった?」という私たちを気遣う言葉だった。
「大丈夫です」と言ったあと謝罪したと思うが、それに対しても「こんなものはどうでもいいけど、怪我がなくてよかった。」と安心した表情であった。
見ていた父親も何も言わず、怒った顔もしていなかった。
後から思えば、よその子に怪我でもさせたら大変という想いもあったのかもしれないが、子どもながらになんと優しい人たちだろうと、感激したものだった。
家に帰ってから自分の親に報告すると、家の中でそんなことするからだと叱られた。
自分の親だったら、こんなときはその家の中で行った「行為」の是非、そしてその「結果」についてとやかく叱りつけ、怪我をしなかったかどうかは二の次だったであろう。
この出来事が自分のその後の人生の中で、印象的な出来事として時々思い出された。
何か問題が起こったとき、何が原因か、誰に非があったのかを問うのではなく、真っ先に確認しなければならないことがあるのではないか。
言うは易しで、すぐに誰かを非難してしまうことも多かった。
それでも、いやいやそれじゃあダメだと同時に自分を諫めてもきた。
あの日のあの子の両親のようでなければいけないなと。
この歳になっても、あの日の出来事が忘れられない。
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Emmylou Harrisは、若い頃からずっと知っていたので、随分息の長いシンガーだなと思えば、もう74歳だという。
そういえば、エミルー・ハウスであるが、初めて名前を知った日からずっと「エミリー・ハウス」と思っていた。
どこでどう読み違えしたのか、その後も「エミルー」の名は目にしてきたはずであるが、カタカナの「ル」が常に「リ」と見えていた。
先入観がそう読ませていたのかもしれないが、とにかく、先日、ある方の指摘で気づくことができた。
エミルーは、カントリー・ロック・シンガーという肩書だそうであるが、何がカントリーで何がカントリー・ロックなのかわからない。
エミルーのソロ・アルバムとしては、初期の頃しか聴いていないからなのかもしれない。
彼女のセカンド・アルバムになる『Gliding Bird』(1975年)から、グラミー賞に輝いた『Elite Hotel』(1975年)、名盤の誉高い『Luxury Liner』(1977年)、『Quarter Moon in a Tan Town』(1978年)、そしてまたグラミー賞を獲得した『Blue Kentucky Girl』(1979年)は、5枚セットの廉価版を聴いている。
プロデュースはすべてBRIAN AHERNである。
途中で、バックバンドのギタリストがJames BurtonからAlbert Leeに変わった点が大きいところで、基本的には一貫した「ど・カントリー」を展開している。
「ど・カントリー」とは、個人的なイメージを言っているにすぎないが、そういう意味ではこれまで積極的に「ど・カントリー」は聴いてこなかった。
ただ、エミルーの声が聴きたくなったり、ゆったりとした気分になりたいときに聴いていた。
エミルーは、ソロ・アーティストだけではなく、シンガー・ソング・ライター、バッキング・ボーカリストやデュエット・パートナーとしても数多くのアーティストとともに仕事をしている。
特に、ドリー・パートンやリンダ・ロンシュタットと組んだ『TRIO』(1987年)が素晴らしい。
この3人の組み合わせは、アルバム『Blue Kentucky Girl』の中で既に実現している。
それぞれ個性豊かな3人であるが、3人が醸し出すコーラスが美しく、それぞれのソロ・パートも存分に聴かせてくれる。
このアルバムは、『TRIO』と『TRIO Ⅱ』(1999年)、そしてALTERNATE TAKEと未発表曲を取り込んだCDの3枚セットで、超お得である。
他にも有名なものとしては、ボブ・ディランの『欲望』にゲスト参加しているし、
マーク・ノップラーとのコラボレーション・アルバム『All The Roadrunning』(2006年)も面白い。
ノップラーの渋くてぶっきらぼうなボーカルとエミルーの伸びやかなボーカルが実にマッチしていて心地よいのだ。
ノップラーのいぶし銀のようなギタープレイもいい。