責任のとり方/MARGIE JOSEPH | BGMと独り言

BGMと独り言

世の中がなんだか益々混沌としてきましたね。
好きな音楽を聴いていられるだけでも幸せなことかもしれません。

今日のあなたのBGMは何ですか?
私は今・・・

 

 

最初は、自分の非は一切認めず、関与を全面否定しておきながら、証人や証拠がボロボロ出てきて逃げきれなくなると、一転して、自分の責任を認める。

 

責任は認めるが、責任をとらないのが政治家の常だ。

 

場合によっては、自分が組織の長でありながら、決めたのは組織だとして、皆で決めたことだから自分だけの責任ではないというような、遠回しな言い方で責任回避する輩もいる。

 

また、別な案件では、大臣という肩書をもちながら、やったのは個人の立場としてであって、大臣としてではないとか?

 

個人の立場であれば、やる必要のないことあるいはやるべきでないことをやっておきながら、訳のわからない予防線を張ろうとする輩もいる。

 

そんな通用しない言い訳を突っ込みきれない記者や野党議員たち。

 

こんな茶番を何度見せられてきたことか。

 

挙句に、有権者にも責任の一端があるなどと言い出すメディア。

 

じゃあ、一体、我々国民は何をすべきなのか。

選挙で誰を選べばいいというのか。

 

どうにもならないジレンマ。

 

 

 

「辞するだけが責任の取り方ではない。職責を全うして全力で信頼を回復したい。」

 

笑わせる。

 

こんな釈明も何度見せられてきたことか。

 

彼らは、口先だけで謝罪したとしても、責任なんか何も感じていないのだ。

感じてないのだから、当然、責任を取るつもりもない。

 

どうせ、国民は指をくわえてみているだけ、そのうち忘れるだろうとたかをくくって、時間稼ぎをしている。

 

 

 

コロナ対策やオリンピックも政争の道具として考えているとしか思えない。

 

毎度延長される緊急事態宣言。

 

期間は短い方が国民もやる気が起こるなどと嘯く国会議員。

延長するくらいなら、最初から期間を長くとって、徹底的に抑えろと言いたい。

 

ここへきて、ワクチン大規模接種センターを設置することでワクチン接種が加速されることを手柄のようにどや顔しているが、これまで常に後手後手に回ってきた失政を忘れているのか。

 

まあ、外野でとやかく言うのは簡単で、関係者は様々な課題やしがらみを抱えながら、日夜大変な苦労をしているのは想像できるが、こんな大変な状況に陥らせたのは、何もかも、今の政治の責任であることを忘れてはならない。

 

 

 

ффффффффффффффф

 

 

 

元々、ソウル・ミュージックは好きで聴いていたが、スティービー・ワンダーを初めとし、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、アル・ジャロー、マービン・ゲイ、ティナ・ターナー、ダイアナ・ロス、チャカ・カーン、ロバータ・フラックなど超メジャーなシンガーばかりだった。

 

最近のように、これまで聴かなかった、あるいは知らなかったシンガーを聴くようになったのは、ネットやSNSの影響が少なくない。

 

そして、色々と聴いてみたくなったきっかけを作ったのは、マージー・ジョセフの存在かもしれない。

 

マージー・ジョセフは、ミシシッピ州出身で、アレサ・フランクリンと並んで70年代のアトランティックを代表したレディー・ソウルだったが、あまり評価されてこなかったようだ。

 

アトランティックから『Margie Joseph』をリリースする前に、スタックスの傍系レーベル=ヴォルトから2枚のアルバムを発表しているが、アトランティック移籍後の作品『Margie Joseph』を含めた3作は、コーネル・デュプリー、バーナード・パディーなど、いずれもNYの腕利きを迎え、グルーヴィーでメロウな仕上がりとなっている。



 

アルバム『Margie Joseph』では、当時のソウルやポップス曲を数多くカヴァーしているが、サザン・ソウルの雰囲気ももちながら、どこか都会的なムードも漂わせているのは、脇を固めるミュージシャンたちの影響か。

 

華やかな声で、優雅に歌い上げているこのアルバムが好きだ。



マージーを聴き始めてから、これまで聴かなかったソウル・シンガーの名前が次から次へと繋がって、現在のような悲惨な状況になってしまったのだ。



 

この責任は誰がとるべきなのか?

 

「はい、私です!

責任は重々感じておりますが、趣味は全うしたいと存じます。」(笑)






 

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